一人飯を1000回続けたら何が変わる?

自炊

一人でご飯を食べる。

文字にすると、それだけのことだ。

牛丼屋に一人で入る。ラーメンを一人で食べる。スーパーで惣菜を買って家で食べる。休日にはファミレスへ行くこともある。

最初の頃は、一人で店に入ると周囲が少し気になった。

「一人で来ていると思われないか」

「混んでいるのに一人で席を使っていいのか」

そんなことを考えることもあった。

しかし、一人飯を何百回、そして仮に1000回と続けたらどうなるのだろう。

今回は、一人飯を長く続けた先に何が変わるのかを考えてみたい。

1回目は周囲が気になる

一人飯に慣れていない頃は、店へ入ること自体に少し緊張する。

特に入り口から店内が見えない店は入りにくい。

扉を開けたら家族連ればかりだったらどうしよう。

カップルばかりだったらどうしよう。

一人客が自分しかいなかったらどうしよう。

店に入る前からいろいろ考えてしまう。

ところが実際に入ってみると、ほとんどの場合は何も起こらない。

店員から、

「何名様ですか?」

と聞かれる。

「一人です」

と答える。

席へ案内され、注文して、食べて、会計して帰る。

ただそれだけだ。

周囲の客も、自分が一人で来ていることなどほとんど気にしていない。

この経験を繰り返すことで、一人飯への抵抗感は少しずつ消えていく。

10回を超えると店選びが変わる

一人飯が10回、20回と増えてくると、店を見るポイントが変わってくる。

料理がおいしいか。

値段はいくらか。

それだけではない。

「カウンター席があるか」

「一人でも入りやすいか」

「注文が簡単か」

「料理が出てくるまで何分くらいか」

こうした部分を見るようになる。

一人飯では、自分の好みだけで店を決められる。

今日はラーメン。

明日は牛丼。

次の日はスーパーの弁当でもいい。

誰かに、

「何食べたい?」

と聞く必要がない。

この自由さに慣れてくる。

100回になると恥ずかしさが消える

100回くらい一人飯を経験したと仮定すると、「一人で食べるのは恥ずかしい」という感覚はかなり小さくなる。

店の中を見て、

「あ、一人客が少ない」

と思っても、それだけだ。

そのまま入る。

食べたいものを注文する。

食べ終わったら帰る。

人からどう見られているかより、

「自分が何を食べたいか」

のほうが重要になる。

これは食事だけの変化ではないと思う。

一人で行動することそのものへの抵抗が減ってくる。

一人で買い物へ行く。

一人で電車に乗る。

一人で知らない街を歩く。

「一人だからやめておこう」という選択が少なくなる。

一人飯は、意外と一人行動の入り口なのかもしれない。

300回で「いつもの店」ができる

一人飯を繰り返していると、当然お気に入りの店が出てくる。

最初はいろいろな店へ行く。

しかし結局、

安い。

うまい。

入りやすい。

落ち着く。

この条件を満たした店へ戻ってくる。

何度も通えば、店員の顔も覚える。

場合によっては向こうもこちらを覚えているかもしれない。

会話をしなくてもいい。

店に入って、いつもの席に座る。

いつものように注文する。

料理を食べる。

それだけで落ち着く。

一人飯なのに、完全に一人という感じがしなくなる瞬間がある。

店員と友達になったわけではない。

他のお客さんと話すわけでもない。

それでも「知っている場所」が増えていく。

これは一人で生活する上では意外と大きい。

500回で食事に求めるものが変わる

一人飯500回。

ここまで来ると、毎回特別なものを食べたいとは思わなくなる。

豪華な料理より、

「今日はこれで十分」

と思える食事が増えてくる。

ご飯。

味噌汁。

卵。

豆腐。

肉を少し。

そんな普通の食事で満足する日もある。

外食についても同じだ。

高級な店でなくてもいい。

1000円以内でお腹いっぱいになって、落ち着いて食べられる。

それで十分だったりする。

食事をイベントとして考える日と、生活として考える日が分かれてくる。

毎日の食事なのだから、毎回100点でなくてもいい。

70点、80点のご飯を気楽に食べられることのほうが重要になってくる。

自炊に対する考え方も変わる

一人飯を続けると、自炊についても現実的になる。

最初は、

「ちゃんと料理しなければ」

と思う。

肉を焼いて、野菜を切って、味噌汁を作って……。

でも一人分だけ作るのは意外と面倒だ。

洗い物も出る。

そこで考える。

もっと簡単でいいのではないか。

フライパン一つ。

電子レンジだけ。

包丁を使わない。

皿も一枚。

スーパーの惣菜を一品加える。

それでも立派な一人飯だ。

「自炊か外食か」の二択ではなくなる。

自炊50%、惣菜30%、外食20%でもいい。

疲れている日は全部買ってくればいい。

続けられる方法を選ぶようになる。

700回で「孤独」と「一人飯」を分けて考える

一人で食べていると、

「寂しくないの?」

と思われることがある。

確かに寂しい日もある。

誰かと話しながら食べたい日もある。

しかし、一人で食べていることと孤独であることは必ずしも同じではない。

誰かと一緒にいても寂しい日はある。

一人でも落ち着いている日はある。

一人飯を繰り返していると、この違いが分かってくる。

一人で食べることそのものを、必要以上にネガティブに考えなくなる。

今日は一人。

それだけだ。

1000回目の一人飯

そして1000回目。

何を食べるだろう。

豪華なステーキだろうか。

寿司だろうか。

記念に高級店へ行くだろうか。

たぶん違う。

いつもの店で、いつもの定食を食べているかもしれない。

あるいはスーパーで買った豆腐と惣菜を家で食べているかもしれない。

1000回目だからといって、特別なことは起こらない。

でも、1回目の自分とは少し違っている。

周囲を気にせず店へ入れる。

食べたいものを自分で決められる。

高い料理でなくても満足できる。

疲れている日は手を抜ける。

そして何より、

一人で食べる時間を普通のものとして受け入れられる。

これが一番大きな変化なのかもしれない。

一人飯1000回で手に入るのは「自由」

一人飯を1000回続けたからといって、人生が劇的に変わるわけではない。

料理の達人になるとも限らない。

グルメになる必要もない。

でも、小さな自由は増える。

食べたい時間に食べる。

好きな店へ行く。

同じ店へ何度通ってもいい。

今日は外食。

明日は自炊。

面倒なら弁当。

誰かに合わせる必要はない。

一人飯の最大のメリットは、この自由なのだと思う。

一人で食べることを「仕方なくすること」だと思っていた頃と、自分から一人飯を選べるようになった後では、同じ一人でも意味が違う。

1000回という数字は大きく見える。

でも1日1回なら、約3年。

一日一日の食事を積み重ねていけば、いつか普通に到達する数字でもある。

その頃、自分は何を食べているだろう。

どんな店を「いつもの店」にしているだろう。

そして1000回目もきっと、

「今日は何食べようかな」

と考えている。

それくらい普通でいい。

一人飯は特別なイベントではない。一人で生きる毎日の一部だからだ。

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