なんとなく入った深夜の松屋
その日も帰宅が遅かった。
時計を見ると23時半。
仕事を終えて電車に乗り、自宅最寄り駅へ着いた頃には日付が変わりそうになっていた。
家に帰れば冷蔵庫には卵もある。
納豆もある。
冷凍ご飯もある。
それでも作る気力はなかった。
そんな時に見える松屋の明かりは不思議だ。
昼間なら何とも思わない。
しかし深夜になると違う。
まるで砂漠のオアシスのように見える。
私は吸い寄せられるように店内へ入った。
店内の空気が昼とは違う
自動ドアが開く。
牛めしの匂いがする。
店内には数人の客がいた。
昼間の松屋とは明らかに違う。
会社員。
作業着姿の男性。
スマホを見ながら食事する若者。
黙って味噌汁を飲む年配男性。
誰も会話していない。
静かだった。
BGMだけが流れている。
その静けさが妙に心地良かった。
深夜の客には共通点がある
しばらく観察していると気づく。
深夜の松屋に来る人は少し似ている。
疲れている。
急いでいない。
一人でいる。
そんな人が多い。
昼間のような慌ただしさはない。
ランチタイムの戦場感もない。
ただ静かに食べて帰る。
それだけだ。
まるで深夜限定のコミュニティのようだった。
牛めし並盛が妙にうまい
食券を購入する。
牛めし並盛。
味噌汁付き。
いつものメニューだ。
特別な料理ではない。
高級でもない。
しかし深夜になるとなぜかうまい。
牛肉。
玉ねぎ。
ご飯。
味噌汁。
それだけなのに満足感がある。
人間は空腹になると単純になるのかもしれない。
仕事帰りの達成感
深夜の松屋がうまい理由は味だけではない。
一日が終わった安心感もある。
今日は仕事に行った。
問題なく終わった。
帰宅できた。
その小さな達成感がご飯をうまくする。
若い頃は考えなかった。
しかし50代になると感じる。
何事もなく一日を終えることは意外と大変だ。
誰も他人に興味がない
深夜の松屋で好きなのはこの部分かもしれない。
誰も他人を見ていない。
一人で来ても浮かない。
会話しなくてもいい。
スマホを見てもいい。
ぼーっとしてもいい。
ただ食べるだけでいい。
ひとり外食が苦手だった頃の自分には想像できなかった。
今では逆に気楽だ。
深夜の店員さん
店員さんも独特だ。
昼間のような忙しさはない。
静かに注文をこなしている。
掃除をしたり、補充をしたりしている。
深夜勤務は大変だと思う。
それでも店が開いている。
そのおかげで私はご飯を食べられる。
そう考えると少し感謝したくなる。
50代になると変わるもの
20代の頃なら深夜にラーメンを食べていた。
チャーハン大盛りでも平気だった。
しかし今は違う。
胃が重い。
翌朝に残る。
その点、牛めしはちょうどいい。
もちろん食べ過ぎれば同じだが、深夜飯としては比較的優しい。
年齢とともに選ぶ食べ物も変わるのだと実感する。
孤独なのか自由なのか
深夜の松屋にいると考える。
私は孤独なのだろうか。
確かに一人だ。
誰とも話していない。
しかし寂しいかと言われるとそうでもない。
むしろ自由だ。
好きな時間に食べる。
好きな席に座る。
好きなだけ考え事をする。
誰にも気を使わない。
ひとり時間には独特の快適さがある。
深夜の松屋は人生が見える
大げさかもしれない。
しかし深夜の松屋には人生が見える。
仕事帰りの人。
夜勤前の人。
夜勤明けの人。
学生。
高齢者。
様々な人がやって来る。
みんな何かを抱えている。
疲れている人もいる。
楽しそうな人もいる。
しかし共通しているのは、お腹を満たしたいということだ。
それだけで人は集まる。
食事には不思議な力がある。
コンビニとは違う安心感
コンビニでも食事は買える。
しかし少し違う。
松屋には椅子がある。
テーブルがある。
味噌汁がある。
温かい料理が出てくる。
人がいる。
その安心感は意外と大きい。
深夜に一人で暮らしていると特にそう感じる。
今日もまた行くかもしれない
食べ終わって店を出る。
夜風が少し冷たい。
スマホを見る。
日付が変わっている。
明日も仕事だ。
それでも少し気分が軽い。
牛めし一杯で人生が変わるわけではない。
しかし疲れた夜を少し楽にしてくれる。
それだけで十分だ。
まとめ
深夜の松屋は昼間とは違う。
静かで、落ち着いていて、少しだけ優しい。
そこには仕事帰りの人たちがいて、それぞれの一日を終えようとしている。
私もその一人だ。
深夜の牛めしは特別な料理ではない。
しかし疲れた夜には不思議とうまい。
だからまた行くのだと思う。
深夜の松屋は、私にとって少しだけ別世界なのである。


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