夜中になると、なぜか何かを食べたくなることがある。
夕食は食べた。
ものすごく空腹というわけでもない。
それなのに、寝るには少し物足りない。
そんな夜だった。
冷蔵庫を確認すると、おからがあった。
ラーメンでもない。
カップ麺でもない。
お菓子でもない。
おから。
夜食として考えると、かなり地味な選択かもしれない。
しかし実際に夜中に食べてみると、これが意外と良かった。
今回は、夜中に一人でおからを食べたときのことを、SoloEatの記録として残しておきたい。
夜中に突然、何か食べたくなった
夜もかなり遅くなっていた。
そろそろ寝ようと思っていたのだが、どうにも少しだけお腹が気になる。
「何か食べたいな」
そんな感覚だった。
この時間に外へ出るほどではない。
コンビニへ行けば、いくらでも食べたいものは見つかるだろう。
おにぎり。
弁当。
カップ麺。
菓子パン。
誘惑はいくらでもある。
しかし、わざわざ着替えて外へ出る気にはならなかった。
そこで冷蔵庫を開けた。
目に入ったのがおからだった。
夜食におからという選択
正直、おからを見た瞬間に「これだ」と思ったわけではない。
どちらかというと、
「まあ、これでいいか」
という感じだった。
夜中に食べるものとしては華やかさがない。
写真映えする料理でもない。
豪華なご褒美飯でもない。
しかし、こういう食べ物が妙に合う夜もある。
皿におからを盛る。
それだけで夜食の準備はほぼ終わった。
料理らしいことをする必要もない。
疲れている夜には、この手軽さがありがたい。
一口食べて感じた素朴さ
一口食べてみる。
やはり、おからだった。
派手な味ではない。
強烈な刺激もない。
しかし、素朴で落ち着く。
この「何も起きない感じ」が、深夜にはむしろ良かった。
昼間ならもっと味の強いものが欲しくなったかもしれない。
肉やラーメンを選んでいたかもしれない。
でも夜中だった。
静かな部屋で一人で食べていると、おからの控えめな味がちょうどよく感じられた。
食感が意外と満足感につながった
おから独特の、少しほろほろとした食感。
これも面白い。
一気に飲み込むような食べ物ではない。
自然と少しずつ食べる。
すると、量はそれほど多くなくても「食べている」という感覚が出てくる。
夜食では、この感覚が大切なのかもしれない。
空腹を完全に満たしたいわけではない。
少しだけ何かを口にして落ち着きたい。
その目的には、おからは思った以上に向いていた。
ラーメンとはまったく違う夜食
夜中に食べたいものといえば、個人的にはラーメンの誘惑が強い。
熱いスープ。
麺。
濃い味。
深夜に食べれば満足感は大きい。
ただ、そのぶん「食べたな」という重さも残りやすい。
おからは正反対だった。
食べ終わった後の感覚が静かだった。
「うまかった!」
という強烈な満足ではない。
「これくらいで良かったな」
という満足だった。
この違いはかなり大きい。
夜中のひとり飯には二種類ある気がする
今回食べながら思った。
深夜のひとり飯には、大きく分けて二種類あるのかもしれない。
一つは、欲望を満たす夜食。
ラーメン。
カレー。
唐揚げ。
カップ麺。
もう一つは、自分を落ち着かせる夜食。
今回のおからは完全に後者だった。
夜中だからこそ、たくさん食べる必要はない。
「少し食べた」という感覚だけで満足できることもある。
おからは思ったより夜に合う
普段、おからを「夜食」として意識したことはほとんどなかった。
食卓の副菜というイメージが強かったからだ。
しかし、一人暮らしでは食べ物の役割は自由だ。
朝食に食べてもいい。
昼食の一品でもいい。
夕食でもいい。
そして夜食でもいい。
「これはこの時間に食べるもの」
と決める必要はない。
冷蔵庫にあって、その瞬間に食べたいと思ったなら食べる。
そんな自由さも、ひとり飯の面白さだと思う。
豆腐とはまた違う
夜中に軽く食べるものとして、豆腐を選ぶこともある。
豆腐も手軽だ。
しかし、おからとは満足感が少し違う。
豆腐はつるっと食べられる。
おからはもう少し「食事をしている」感覚がある。
噛む。
少しずつ口に運ぶ。
その時間がある。
だから、単純な量以上に満足したのかもしれない。
深夜は豪華さより手軽さが重要だった
夜中に料理をするのは面倒だ。
フライパンを出す。
包丁を使う。
食べた後に洗い物をする。
そこまでやるなら、もう寝たい。
今回のおからには、それがなかった。
冷蔵庫から出す。
盛る。
食べる。
それだけ。
深夜の食事では、この「面倒ではない」という価値がかなり大きい。
疲れているときほど実感する。
一人だから好きなものを好きな時間に食べられる
一人で食事をしていると、誰かに合わせる必要がない。
「夜中におから?」
と言う人もいない。
食べたければ食べればいい。
少量だけでもいい。
それで満足したら終わり。
一人で食べることには寂しさを感じる瞬間もある。
しかし同時に、かなり自由でもある。
その自由を最も感じるのが、こういう何でもない夜食なのかもしれない。
夜中だから味が違って感じる
同じおからでも、昼間に食べたら今回ほど印象に残らなかったと思う。
昼食の定食に小鉢として付いていたら、
「おからだな」
と思って普通に食べて終わっていたかもしれない。
ところが夜中だった。
静かな部屋。
外も静か。
一人。
そんな環境で食べると、普段なら脇役のおからが主役になる。
食べ物の味は、食材だけで決まるわけではないのだと思う。
時間や場所、その日の気分でも変わる。
罪悪感が比較的小さかったのも良かった
夜食を食べると、食べた直後に、
「やっぱり食べなければ良かったかな」
と思うことがある。
特に勢いで大量に食べてしまったときだ。
今回は、その感覚がほとんどなかった。
適量のおからを食べて終わったからだ。
ただし、おからなら夜中にいくら食べてもいいという意味ではない。
味付けや量によっても違う。
結局は食べ過ぎないことが大切だろう。
それでも、私にとって今回のおからは「ちょっとだけ食べたい」という気持ちを満たすには十分だった。
食べ終わった後、妙に落ち着いた
食べ終わる。
皿が空になる。
そこで、
「もう何か食べなくてもいいな」
と思えた。
これが今回、一番良かったところかもしれない。
夜中の空腹は、ときどき食欲というより落ち着かなさに近い。
何か食べたい。
でも何が食べたいのか分からない。
そんな状態になる。
そこで刺激の強いものを食べると、さらに別のものが欲しくなることもある。
おからの場合は逆だった。
食べたら、それで終了。
静かに満足できた。
SoloEatはこういう食事も残しておきたい
SoloEatというと、外食の記事ばかりを想像するかもしれない。
有名な店。
ラーメン。
焼肉。
寿司。
もちろん、そういう食事も面白い。
しかし私が残したいのは、それだけではない。
コンビニ飯。
スーパーの総菜。
自炊。
そして、夜中に冷蔵庫から出したおから。
こういう小さな食事も、一人の生活を構成している。
むしろ毎日の暮らしという意味では、こちらのほうがリアルなのかもしれない。
まとめ|夜中のおからは「静かな満足」だった
夜中に、なんとなくお腹が気になっておからを食べた。
最初は、
「これでいいか」
くらいの気持ちだった。
ところが食べてみると、思った以上に深夜の空気に合っていた。
派手ではない。
強烈なうまさでもない。
それでも、素朴な味と食感で気持ちが落ち着いた。
ラーメンを食べた夜のような大きな満足感とは違う。
「これくらいでちょうどいい」
そんな小さな満足だった。
一人で暮らしていると、食事は毎回特別である必要はない。
豪華でなくてもいい。
写真映えしなくてもいい。
夜中に少しお腹が空いて、冷蔵庫にあったおからを食べる。
それだけの日があってもいい。
そして、意外にもそういう何でもない食事のほうが、あとになって覚えていることがある。
夜中に食べたおから。
私にとってそれは、派手さはないけれど妙に落ち着いた、静かな深夜のひとり飯だった。


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