炊飯器でご飯を炊くことすら面倒な夜|一人暮らしの夕食は頑張らなくてもいい

Solo Home Meals(家でひとりごはん)

はじめに

炊飯器でご飯を炊く。

やることは、それほど多くない。

米を用意する。

米を研ぐ。

水を入れる。

炊飯器のボタンを押す。

文章にすると、たったこれだけだ。

料理と呼ぶほど難しい作業でもない。

包丁を使うわけでもない。

フライパンを振るわけでもない。

味付けを考える必要もない。

それなのに、どうしてもご飯を炊くことすら面倒に感じる夜がある。

仕事から帰ってきた夜。

部屋のドアを開ける。

靴を脱ぐ。

バッグを置く。

椅子に座る。

その瞬間、もう動きたくなくなる。

「ご飯を炊こう」

頭では思う。

しかし、体が動かない。

炊飯器はすぐそこにある。

米もある。

水も出る。

それでも面倒なのだ。

一人暮らしをしていると、そんな夜がある。

今回は、炊飯器でご飯を炊くことすら面倒になった夜について書いてみたい。

ご飯を炊くことは簡単なはずだった

私は、ご飯を炊くことが難しいとは思っていない。

炊飯器は便利だ。

昔のように火加減を細かく調整する必要もない。

ボタンを押せば炊いてくれる。

機種によっては予約もできる。

朝にセットしておけば、帰宅時間に合わせて炊き上がる。

便利な家電だと思う。

それでも面倒になる。

不思議だ。

問題は炊飯器ではない。

ご飯を炊くという作業の難易度でもない。

おそらく、自分の残りの体力なのだと思う。

一日の仕事が終わった。

電車に乗った。

駅から歩いた。

買い物をした日もある。

部屋へ戻る頃には、今日使えるエネルギーがほとんど残っていない。

米を研ぐ数分間さえ長く感じる。

椅子に座ったら終わり

私には一つの傾向がある。

帰宅してすぐ動けば、まだ何かできる。

バッグを置く。

そのまま台所へ行く。

米を出す。

炊飯器を準備する。

ここまで一気に動けば、ご飯を炊ける。

しかし、一度椅子に座ると難しい。

スマートフォンを見る。

少し休む。

「5分だけ」

そう思う。

気付けば20分。

さらに30分。

時間だけが過ぎていく。

空腹ではある。

しかし、立ち上がるほどではない。

炊飯器を見る。

「今から炊くと時間がかかるな」

そう考える。

最初に帰宅した瞬間に炊いていれば、もう食べられたかもしれない。

しかし、そのタイミングを逃している。

一人暮らしでは、誰も炊飯器のボタンを押してくれない。

当たり前だ。

自分が動かなければ、ご飯は炊けない。

米を研ぐことが急に大仕事になる

元気な日に米を研ぐと、何も感じない。

米を入れる。

水を入れる。

軽く研ぐ。

水を替える。

それだけだ。

しかし、疲れた夜は違う。

炊飯器の内釜を取り出す。

米の袋を開ける。

計量する。

水を出す。

この一つ一つが面倒に感じる。

「今日はいいか」

そんな言葉が頭に浮かぶ。

人間は面白い。

仕事では何時間もパソコンの前に座れる。

電車を乗り換えることもできる。

駅から家まで歩くこともできる。

それなのに、米を研ぐ数分間ができない。

体力だけの問題ではないのかもしれない。

「今日はもう何も判断したくない」

そんな精神的な疲れもあるのだと思う。

一人分だけ炊くという面倒

家族がいれば、ご飯を炊く理由は分かりやすい。

自分以外にも食べる人がいる。

食事の時間がある。

「ご飯できたよ」

そんな言葉がある。

しかし、一人暮らしでは自分のためだけに炊く。

一合。

あるいは二合。

食べるのは自分。

炊かなかったとしても、誰にも困られない。

「今日、ご飯ないの?」

そう聞く人はいない。

この自由さが、一人暮らしの良いところでもある。

同時に、面倒な夜に何もしなくなる理由でもある。

自分だけなら、まあいいか。

この「まあいいか」は強い。

冷蔵庫を開けて閉める

ご飯を炊くのが面倒な夜。

私は冷蔵庫を開ける。

何かないだろうか。

すぐ食べられるもの。

温めるだけのもの。

しかし、特にない。

冷蔵庫を閉める。

少しして、また開ける。

当然だが、食べ物は増えていない。

さっき見たものと同じだ。

それでも開けてしまう。

もしかしたら見落としていた食べ物があるかもしれない。

そんな期待なのだろうか。

卵。

調味料。

飲み物。

少し残った食材。

「これで何か作るか」

一瞬考える。

そして冷蔵庫を閉める。

作る気力がない。

コンビニへ行くことさえ迷う

それならコンビニへ行けばいい。

歩いて行ける場所に店がある。

おにぎり。

弁当。

パン。

カップ麺。

何でも売っている。

しかし、外へ出るのも面倒だ。

一度部屋着に着替えていたら、さらに面倒になる。

服を着替える。

財布を持つ。

靴を履く。

外へ出る。

店まで歩く。

商品を選ぶ。

レジへ行く。

帰ってくる。

元気な日なら何でもない。

疲れた夜は、この一連の流れが長く見える。

炊飯器でご飯を炊くのが面倒。

コンビニへ行くのも面倒。

私は椅子に座ったまま考える。

「どうしよう」

空腹と面倒の戦い

お腹は空いている。

これは間違いない。

昼食から何時間も経っている。

何か食べたい。

しかし、動きたくない。

空腹。

面倒。

どちらが勝つのか。

しばらくは面倒が勝つ。

スマートフォンを見る。

動画を見る。

ネットを見る。

空腹をごまかす。

しかし、時間が経つと空腹が強くなる。

最終的には何か食べる。

問題は何を食べるかだ。

このような夜、豪華な食事は必要ない。

栄養バランスについて深く考える余裕もない。

とにかく、今すぐ食べられるもの。

私はそれを探す。

カップ麺が強く見える夜

棚にカップ麺がある。

疲れた夜に見ると、とても強い。

お湯を沸かす。

注ぐ。

待つ。

食べる。

米を研ぐ必要はない。

炊き上がりを待つ必要もない。

鍋もフライパンも使わない。

食べ終わったら容器を捨てる。

この手軽さは大きい。

「今日はカップ麺でいいか」

そう思う。

毎日ではない。

今日だけ。

私は自分に言い訳する。

しかし、一人暮らしでは「今日だけ」が何度も来ることがある。

月曜日。

疲れた。

火曜日。

残業した。

水曜日。

何となくやる気がない。

理由はいくらでもある。

おにぎり一個で終わる夜もある

コンビニで買っておいたおにぎりがある。

そんな日は助かる。

袋を開ける。

食べる。

数分で終わる。

私の場合、もともと食事時間が短い。

10分程度で食べ終わることも多い。

だから、おにぎり一個なら本当にすぐ終わる。

少し物足りない。

しかし、空腹は弱くなる。

「もういいか」

そう思ってしまう。

食事を楽しむというより、空腹を止める。

そんな夕食になる。

ご飯を炊けば節約になると分かっている

お金のことを考えれば、自宅でご飯を炊くほうがいい。

米を買う。

一度に炊く。

小分けにする。

冷凍する。

必要なときに電子レンジで温める。

この方法が合理的だ。

私も分かっている。

コンビニで毎回おにぎりを買う。

弁当を買う。

外食する。

積み重なれば食費は増える。

最近は生活費について考えることも増えた。

「少しでも節約したい」

そう思う。

それならご飯を炊けばいい。

頭では分かっている。

しかし、節約の正しさと、疲れた夜の行動は必ずしも一致しない。

冷凍ご飯を作っておけばよかった

こんな夜になると、毎回思う。

「元気な日にご飯を多めに炊いておけばよかった」

二合。

三合。

多めに炊く。

一食分ずつ分ける。

冷凍庫へ入れる。

疲れた夜は電子レンジで温める。

数分でご飯が食べられる。

完璧な方法に見える。

しかし、冷凍ご飯を作るためには、元気な日に準備しなければならない。

未来の疲れた自分を想像する必要がある。

元気な日は思う。

「今日ならいつでも炊ける」

そして冷凍しない。

数日後。

疲れて帰宅する。

「冷凍ご飯を作っておけばよかった」

同じことを繰り返す。

一人暮らしの食事は自己管理そのもの

一人で暮らしていると、食事は自分の状態がそのまま表れる。

元気な日。

少し料理する。

ご飯を炊く。

食材を用意する。

疲れた日。

何もしたくない。

カップ麺。

おにぎり。

パン。

あるいは食べない。

誰かが見ているわけではない。

だから、自分の体調や気分がそのまま食事になる。

これは自由だ。

しかし、少し怖くもある。

何日も面倒な状態が続けば、食生活も崩れる。

「一日くらい大丈夫」

それは本当だと思う。

しかし、一日が一週間になると話は違う。

頑張って炊かなくてもいいと思った

以前の私は、少し真面目に考えすぎていたのかもしれない。

家にいるならご飯を炊く。

自炊する。

外食を減らす。

節約する。

正しい生活をしようとする。

しかし、毎日同じ体力ではない。

仕事で疲れる日もある。

何もしたくない夜もある。

そんな日に無理をして米を研ぐ必要があるのだろうか。

私は最近、「炊かない日があってもいい」と思うようになった。

おにぎりでもいい。

パンでもいい。

買ってきた弁当でもいい。

今日を乗り切る。

それで十分な夜もある。

ただし何も食べないよりは少し食べる

私は食事を簡単に済ませることがある。

しかし、何も食べない状態が続くのは避けたい。

疲れている。

だから食べない。

食べないから、さらに体力がなくなる。

翌朝もだるい。

そんな流れになる可能性がある。

だから、炊飯器を使えない夜のために、簡単に食べられるものを置いておく。

カップ麺だけではなく。

パックご飯。

レトルト食品。

冷凍食品。

缶詰。

パン。

自分がすぐ食べられるもの。

「非常食」というほど大げさではない。

疲れた自分用の食事だ。

パックご飯という選択肢

最近、改めてパックご飯は便利だと思う。

電子レンジで温める。

すぐ食べられる。

炊飯器を洗わなくていい。

米を研がなくていい。

炊き上がりを待たなくていい。

もちろん、毎回米を炊く場合と比べれば費用は違う。

しかし、疲れて外食するより安く済むこともある。

コンビニで大量に買うより支出を抑えられる可能性もある。

何より「何も食べない」を防げる。

一人暮らしでは、最安値だけで食事を考えなくてもいいのかもしれない。

手間。

時間。

体力。

これらもコストだ。

炊飯器のボタンを押せない自分

ご飯を炊くことすら面倒。

そう書くと、怠けているように見えるかもしれない。

しかし、自分の生活を振り返ると、そういう夜は確実にある。

私はその事実を否定しないことにした。

今日は疲れている。

今日は面倒。

なら、簡単なものを食べる。

明日、少し元気ならご飯を炊く。

毎日完璧に生活する必要はない。

一人暮らしだからこそ、自分の状態に合わせて食事を変えてもいい。

まとめ

炊飯器でご飯を炊く。

簡単な作業だ。

それでも、どうしても面倒な夜がある。

米を研ぐ数分間。

水を入れる。

ボタンを押す。

その小さな作業さえできない。

私は一人暮らしをしながら、そんな夜を何度も経験してきた。

以前なら「ご飯くらい炊けばいい」と思ったかもしれない。

しかし、今は少し違う。

疲れた夜は炊かなくてもいい。

パックご飯でもいい。

おにぎりでもいい。

パンでもいい。

簡単な食事で終わる日があってもいい。

大切なのは、毎日の食事を完璧にすることではない。

自分が今どれくらい疲れているのかを知ること。

そして、疲れた自分でも食べられる方法を用意しておくこと。

炊飯器でご飯を炊くことすら面倒な夜。

そんな日は、頑張って料理をする日ではないのかもしれない。

電子レンジのボタンを押すだけ。

袋を開けるだけ。

それで夕食が終わってもいい。

一人で食べる生活は、誰かに見せるためのものではない。

今日の自分が、無理なく食べられるものを選ぶ。

それもまた、soloeatに残しておきたい一人ごはんの記録である。

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