スーパーやコンビニのお菓子売り場を歩いている。
今日は特にお菓子を買う予定はない。
牛乳。
弁当。
カップ麺。
飲み物。
必要なものだけ買って帰ればいい。
そう思っている。
しかし、お菓子売り場を通る。
そこで見つける。
厚切りポテト 贅沢のりしお味。
私は少し見る。
「最近、食べてないな」
毎回ではない。
見つけるたびに買うわけでもない。
私は毎日ポテトチップスを食べる人間ではない。
家に何袋もストックしているわけでもない。
それなのに。
厚切りポテト 贅沢のりしお味は、たまに買ってしまう。
買う予定がなかった日にも買う。
お菓子はいらないと思っていたのに、買い物かごへ入れる。
なぜなのだろう。
ものすごく高級な食べ物ではない。
人生で一番好きな料理でもない。
毎日食べたいわけでもない。
しかし忘れた頃に、また食べたくなる。
今回は、私が厚切りポテト 贅沢のりしお味をたまに買ってしまう話を書いてみたい。
ポテトチップスを毎日食べる生活ではない
私はポテトチップスを毎日食べない。
一週間に何袋と決めて買っているわけでもない。
むしろ、しばらく食べない時期もある。
一人で生活していると、食事はかなり自由だ。
朝に何を食べるのか。
昼はどうするのか。
夜は自炊するのか。
弁当を買うのか。
全部、自分で決める。
私は食事を10分くらいで終えることも多い。
ゆっくり一時間かけて夕食を楽しむタイプではない。
お腹が空いた。
食べる。
終わる。
かなり単純だ。
炊飯器でご飯を炊くことすら面倒に感じる夜もある。
そんな日はコンビニやスーパーで何かを買う。
カップ麺。
総菜。
弁当。
食べられればいい。
そういう食生活の日もある。
しかし、厚切りポテト 贅沢のりしお味は違う。
お腹を満たすために買っているわけではない。
夕食の代わりでもない。
なくても困らない。
買わなくても生活できる。
それでも買う。
だから私にとっては、完全に「食べたいから買うもの」なのだと思う。
「厚切り」というだけで少し気になる
私は「厚切り」という言葉に弱いのかもしれない。
厚切り。
普通より厚い。
それだけの意味だ。
しかし食べ物の商品名に「厚切り」と書いてあると、少しおいしそうに感じる。
厚切りベーコン。
厚切りトースト。
厚切り肉。
そして厚切りポテト。
薄いものより、食べ応えがありそうだ。
一枚食べたときの存在感が違いそうだ。
そんなことを考える。
普通のポテトチップスも好きだ。
薄いポテトチップスには、薄いポテトチップスのおいしさがある。
パリパリ食べる。
何枚も続けて食べる。
それもいい。
しかし厚切りポテトを見ると、
「今日はこっちかな」
と思うことがある。
一枚を食べた感覚が強い。
噛む。
ポテトを食べている感じがする。
私は食品について専門的な知識があるわけではない。
ポテトチップスの厚さを測ったこともない。
他の商品と何ミリ違うのかも知らない。
ただ食べたとき、
「厚いな」
と思う。
その単純な感覚が好きなのだと思う。
さらに「贅沢のりしお味」と書いてある
厚切り。
それだけでも少し気になる。
さらに贅沢のりしお味。
「贅沢」という言葉が付いている。
私は以前から思っている。
食べ物の商品名に付いている「贅沢」という言葉は強い。
普通ののりしお味。
これでも十分おいしそうだ。
しかし、
「贅沢のりしお味」
と書かれると少し違う。
何が贅沢なのだろう。
海苔なのか。
味付けなのか。
香りなのか。
私は売り場で細かく分析しているわけではない。
ただ、
「贅沢なんだな」
と思う。
単純だ。
かなり単純だと思う。
しかし商品名とは、そういうものなのかもしれない。
人間は商品を成分表だけで選んでいない。
名前を見る。
袋を見る。
以前食べた記憶を思い出す。
そして買う。
私の場合。
厚切りポテト。
贅沢のりしお味。
この言葉の並びを見ると、
「久しぶりに食べるか」
となることがある。
のりしお味は失敗する感じがしない
私は新商品を見ることがある。
期間限定。
新しい味。
今まで見たことのない組み合わせ。
「へえ」
とは思う。
しかし買わないことも多い。
味が想像できない。
食べてみたら自分には合わないかもしれない。
せっかく一袋買っても、途中で食べたくなくなる可能性がある。
一人で食べる場合、誰かに渡すこともできない。
自分で食べるしかない。
その点、のりしお味は安心する。
海苔。
塩。
ポテト。
分かりやすい。
私は食べる前から味の方向を知っている。
もちろん商品によって違いはある。
それでも、
「まったく想像と違う味だった」
ということは少ない。
厚切りポテト 贅沢のりしお味もそうだ。
私は以前食べたことがある。
味を知っている。
だから売り場で見つけたとき、
「また食べたいか」
だけを考えればいい。
冒険ではない。
確認に近い。
「あの味を、また食べるか」
そして、たまに私は買う。
袋を開ける瞬間
家へ帰る。
買ったものを出す。
厚切りポテト 贅沢のりしお味の袋がある。
夕食を食べたあとかもしれない。
休日の午後かもしれない。
時間は決まっていない。
袋を開ける。
私はポテトチップスの袋を開ける瞬間が少し好きだ。
もちろん大げさな感動はない。
しかし、
「これから食べる」
という小さな始まりがある。
袋の中を見る。
一枚取る。
食べる。
厚切り。
噛む。
普通の薄いポテトチップスとは少し違う食感。
そして、のりしお。
「これだな」
と思う。
私はグルメ評論家ではない。
味を細かく説明できない。
海苔の種類。
塩の産地。
じゃがいもの特徴。
そういう専門的なことは分からない。
私が分かるのは、
「好きか」
「普通か」
「もう一度食べたいか」
それくらいだ。
厚切りポテト 贅沢のりしお味は、もう一度食べたい側にいる。
だから、たまに買う。
一枚目より二枚目が早い
一枚食べる。
おいしい。
そして二枚目。
ポテトチップスを食べるとき、不思議なのはここだ。
一枚目は意識して食べる。
「久しぶりだな」
「やっぱり厚切りだな」
そんなことを考える。
しかし二枚目から早くなる。
一枚。
もう一枚。
さらに一枚。
スマートフォンを見る。
ニュースを見る。
動画を見る。
ブログのことを考える。
何かをしながら食べる。
手が袋へ入る。
食べる。
また袋へ入る。
私は一枚ずつ食べているはずなのに、気づくとかなり減っている。
「もうこんなに食べたのか」
袋を見る。
最初はたくさん入っていた。
しかし底が見えてくる。
少しだけ食べるつもりだった。
残して明日食べてもいい。
頭では分かっている。
でも食べる。
厚切りだから一枚の存在感はある。
それなのに次の一枚へ行く。
この繰り返し。
ポテトチップスは恐ろしい。
いや。
私の意志が弱いだけかもしれない。
一袋食べてしまうこともある
全部食べる。
空になった袋を見る。
「食べたな」
と思う。
少し反省することもある。
カロリー。
塩分。
健康。
50代になれば、若い頃より気になる。
毎日これを続けるのはよくないだろう。
夜中に毎日一袋。
さすがに私はやらない。
しかし、たまに一袋食べる。
そして食べ終わったあと、
「全部食べなくてもよかったな」
と思う。
これはポテトチップスを食べた人なら、一度くらい経験があるのではないだろうか。
半分で止める。
袋を閉じる。
明日に残す。
できそうで、できない日がある。
特に久しぶりに食べた日は止まらない。
私は厚切りポテト 贅沢のりしお味を毎日買わない。
だから食べるときは、
「久しぶり」
という感覚がある。
この久しぶりが、一袋食べる理由になっているのかもしれない。
毎日食べたら、たぶん買わなくなる
私は思う。
もし家に厚切りポテト 贅沢のりしお味が30袋あったらどうなるだろう。
毎日一袋食べる。
一日目。
おいしい。
二日目。
まだおいしい。
三日目。
普通に食べる。
一週間。
おそらく飽きる。
一か月。
袋を見るのも嫌になるかもしれない。
好きな食べ物でも、毎日食べれば特別ではなくなる。
私が厚切りポテト 贅沢のりしお味を好きなのは、「たまに」だからなのだと思う。
毎週必ず買うわけではない。
何曜日に食べると決めていない。
忘れている期間もある。
そしてスーパーのお菓子売り場で再会する。
「あった」
少し見る。
「最近食べてない」
買う。
この間隔がいい。
人間は好きなものを毎日手に入れれば幸せになるとは限らないのかもしれない。
少し離れる。
忘れる。
また見つける。
そのほうが、長く好きでいられる食べ物もある。
値段を見て一度考える
もちろん値段も見る。
私は何でも値段を見ずに買う生活ではない。
スーパーへ行けば値札を見る。
コンビニでも見る。
「高くなったな」
と思うことがある。
食品の値段は昔と同じではない。
ポテトチップスも、
「こんな値段だったかな」
と感じることがある。
正確な昔の価格を覚えているわけではない。
ただ感覚として高くなったと思う。
厚切りポテト 贅沢のりしお味を見る。
値段を見る。
一度考える。
「今日はいいかな」
そう思って買わない日もある。
だから毎回買わない。
しかし別の日。
同じように見る。
「まあ、たまにはいいか」
買う。
私の買い物には、この「まあ、いいか」が多い。
数百円。
人生が変わる金額ではない。
しかし積み重なればお金になる。
だから毎日は買わない。
でも、たまには買う。
このくらいが私にはちょうどいい。
一人で食べるお菓子に説明はいらない
誰かと暮らしていれば、
「また買ったの?」
と言われるかもしれない。
「それ好きだね」
と言われるかもしれない。
一人で暮らしていると、誰も言わない。
買う。
持って帰る。
袋を開ける。
食べる。
終わり。
誰にも説明する必要がない。
なぜ厚切りポテト 贅沢のりしお味を選んだのか。
理由を聞く人はいない。
私は食べたいから買った。
それだけだ。
soloeatの記事を書いていると、私は一人で食べるという行動を以前より考えるようになった。
一人焼肉。
一人ラーメン。
一人カフェ。
コンビニ飯。
カップ麺。
スーパーの総菜。
そしてポテトチップス。
大きな食事だけがsoloeatではない。
一人で買って、一人で食べる。
その小さな選択も記録になる。
厚切りポテト 贅沢のりしお味を買った。
たったそれだけ。
しかし私は一度ではなく、何度か買っている。
つまり自分の中に何か理由がある。
「贅沢」は私にとってこのくらいでもいい
贅沢。
この言葉から何を想像するだろう。
高級ホテル。
海外旅行。
高級寿司。
ブランド品。
大きな家。
もちろん、それらも贅沢だ。
私だって大きな成功を考えることがある。
世界一。
巨大な経済圏。
大きな会社。
普通ではない未来。
そんなことを考える。
しかし現実の一日は、もっと小さい。
朝起きる。
仕事へ行く。
電車に乗る。
帰る。
スーパーへ寄る。
食べる。
寝る。
その一日の中で、厚切りポテト 贅沢のりしお味を買う。
商品名に「贅沢」と書いてある。
私は少し笑ってもいいのかもしれない。
「今日の贅沢はこれか」
数百円のお菓子。
でも、それで少し満足する。
高級ホテルに泊まらなくてもいい。
毎日高級焼肉を食べなくてもいい。
大きな贅沢を否定するつもりはない。
いつか大きな贅沢をしてみたい。
しかし、それとは別に。
小さな贅沢があってもいい。
食べたから人生が変わるわけではない
厚切りポテト 贅沢のりしお味を食べる。
人生は変わらない。
翌日の仕事が楽になるわけではない。
銀行口座のお金が増えるわけでもない。
ブログのアクセスが突然100倍になるわけでもない。
好きな人から連絡が来るわけでもない。
何も変わらない。
食べる前と食べた後。
世界は同じだ。
しかし数十分。
私は一人でポテトチップスを食べている。
「やっぱり、これ好きだな」
そう思う。
それでいいのだと思う。
食べ物すべてに人生を変える力を求める必要はない。
感動する料理。
忘れられない味。
人生最高の一皿。
そういうものもある。
でも日常のほとんどは違う。
なんとなく食べる。
普通においしい。
また食べたい。
そして忘れる。
数か月後にまた買う。
そういう食べ物のほうが、人生では多いのかもしれない。
私はまた、たまに買うと思う
次にいつ買うのかは分からない。
明日か。
来週か。
一か月後か。
数か月後か。
私は買い物の予定表に、
「厚切りポテト 贅沢のりしお味を買う」
とは書かない。
食べる日を予約しない。
たまたま売り場を通る。
見つける。
袋を見る。
そして思う。
「最近、食べてないな」
そのとき食べたければ買う。
今日はいいと思えば買わない。
それだけだ。
厚切りポテト 贅沢のりしお味。
私は毎日食べない。
毎週買わない。
大量にストックしない。
でも忘れない。
売り場で見つけると、少し気になる。
そして。
たまに買ってしまう。
一人で家へ持って帰る。
袋を開ける。
一枚食べる。
厚切りのポテトを噛む。
のりしおの味がする。
二枚目を食べる。
気づけば袋が減っている。
「また食べすぎたな」
少し思う。
そして、しばらく買わない。
忘れた頃。
また買う。
私と厚切りポテト 贅沢のりしお味の関係は、おそらくこれからもこのくらいでいい。
毎日ではない。
特別な記念日でもない。
ただ、たまに。
私は厚切りポテト 贅沢のりしお味を買ってしまう。


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