昭和60年頃、吉岡町にイタチがいた|あいつらは何を食べていたんだろう

Solo Home Meals(家でひとりごはん)

昭和60年頃。

西暦でいえば1985年頃になる。

僕が覚えている当時の群馬県吉岡町は、今とはずいぶん景色が違っていた。

田んぼや畑があり、小さな水路があり、草むらも多かった。

そして、イタチがいた。

今になって考えると、

「あいつら、いったい何を食べて生活していたんだろう?」

と思う。

スーパーがあるわけでもない。

誰かが毎日エサを与えているわけでもない。

田んぼや畑の周辺を走り回り、自分で食べ物を探して生きていた。

SoloEatでは普段、人間が一人で食べたものを書いている。

でも今回は少し時代を戻して、昭和の吉岡町で暮らしていたイタチの食事について考えてみたい。

昭和の吉岡町で見たイタチ

イタチの記憶は、ものすごく鮮明というわけではない。

それでも「いた」ということは覚えている。

細長い体。

地面の近くを素早く走る。

犬や猫とは明らかに違う。

見つけたと思ったら、すぐに草むらなどへ消えてしまう。

当時は珍しい動物を見たという感覚も、それほどなかったような気がする。

田舎にはいろいろな生き物がいたからだ。

田んぼへ行けばカエルがいる。

水路には魚や水生生物がいる。

草むらには昆虫がいる。

夜になれば昼間とは違う生き物が動き始める。

そう考えると、イタチにとって昭和の田園地帯は、巨大な食料庫だったのかもしれない。

イタチは肉食寄りの雑食

イタチの仲間は、基本的には肉食性が強い。

ネズミなどの小型哺乳類をはじめ、カエル、昆虫、鳥やその卵、魚など、捕まえられるさまざまな小動物を食べる。

状況によっては植物質のものなどを口にすることもある。

つまり、

「これだけを食べる」

というより、周囲にいる生き物を利用して生きるタイプだ。

そう考えると、当時の吉岡町周辺はかなり暮らしやすかったのではないだろうか。

ネズミは重要な食べ物だったはず

まず思い浮かぶのがネズミだ。

田畑、農家の建物、納屋などがある環境には、小型のネズミ類が生活できる場所もある。

イタチの細長い体を見ると、小さな獲物を追いかける生活に適していることが想像できる。

人間からするとネズミは困る存在になることもある。

しかしイタチから見れば食料だ。

今ならコンビニへ行けば、おにぎりが買える。

スーパーへ行けば肉も魚も買える。

イタチにはそんなものはない。

腹が減ったら探す。

見つけたら追う。

捕まえられなければ食べられない。

毎日が狩りだった。

田んぼにはカエルがいた

昭和の田舎を思い出すと、カエルも外せない。

田植えの季節になり、水の入った田んぼが増える。

夜になるとカエルの声が聞こえる。

人間にはただの鳴き声でも、捕食する動物にとっては食べ物が存在している場所でもある。

イタチはカエルなども食べる。

僕たちが、

「今日は何を食べよう」

と考えるのとはまったく違う。

田んぼへ行けばカエルがいる。

草むらへ行けば別の獲物がいる。

水辺へ行けば魚などがいるかもしれない。

季節によってメニューそのものが変化する。

考えてみれば、究極の地産地消である。

昆虫も食べる

昆虫も重要だっただろう。

バッタなど、田畑や草地にはさまざまな虫がいる。

人間から見れば小さな虫でも、小型の肉食動物にとっては食べ物になる。

特に大きな獲物が簡単に見つからないときには、捕まえられる小動物を利用する。

僕が子どもの頃には、虫が身近にいること自体が普通だった。

草むらに入れば何かが動く。

石を動かせば何かがいる。

水辺にも生き物がいる。

当時は気にもしなかった。

でも今考えると、それらが食物連鎖を支えていた。

虫を別の生き物が食べる。

その生き物をさらに大きな動物が食べる。

イタチもその中にいた。

水路はイタチにとって食堂だった?

昔の吉岡町の記憶をたどると、水路の存在も大きい。

農業と水は切り離せない。

そして水があれば生き物が集まる。

小魚。

カエル。

水生昆虫。

その他の小さな生物。

イタチの仲間は泳ぐこともでき、魚など水辺の獲物を食べることもある。

そう考えると、水路は単なる水の通り道ではない。

イタチからすれば、

「食べ物が見つかる可能性のある場所」

だったのだろう。

僕らが飲食店の並ぶ通りへ行く感覚とはまったく違うが、生き物の視点で町を見ると景色の意味まで変わってくる。

鳥や卵も食べる

イタチは小鳥や卵などを狙うこともある。

これは人間側からすると困る場合もある。

昔からイタチが鶏小屋などへ入り込む話があるのも、肉食性の強い動物だからだ。

野生動物に、

「これは人間が飼っているから食べてはいけない」

というルールは通じない。

目の前に捕まえられる動物がいる。

腹が減っている。

ならば狙う。

野生の世界では非常に単純だ。

人間と野生動物の生活圏が近ければ、そこで衝突も起きる。

季節によって食卓が変わる

ここが野生動物の面白いところだと思う。

人間なら一年中かなり似たものを食べられる。

真冬でも野菜を買える。

季節に関係なく肉も魚も売っている。

昭和60年頃でも、人間はすでにそうした生活をしていた。

しかし野生のイタチには季節の影響が直接やってくる。

春。

夏。

秋。

冬。

生き物の数も種類も変わる。

田んぼの状態も変わる。

だから、その時期に捕まえやすいものを食べる。

これは「今日の献立を決める」という人間の食事とはまったく違う。

自然そのものが献立を決めていた。

もし今、同じ場所を歩いたら

昭和60年頃から約40年。

町の景色は変わった。

家が増えた場所もある。

道路が整備された場所もある。

店も増えた。

昔は空き地だった場所に建物が建っていることも珍しくない。

人間にとっては便利になった。

でも、イタチから見ればどうなのだろう。

田んぼが減る。

草むらが減る。

水辺の環境が変わる。

すると、そこに暮らしていたカエルや昆虫、小動物の環境も変化する。

イタチにとって重要なのは、「人間が住みやすい町か」ではない。

食べ物と隠れる場所があるか。

おそらくそれが大きい。

あのイタチも一人で飯を探していた

SoloEatの記事を書いていると、

「一人で食べる」

ということをよく考える。

一人焼肉。

一人ラーメン。

コンビニ飯。

家で簡単に食べる夜。

でも昭和の吉岡町にいたイタチを思い出すと、同じ「一人飯」でも世界が違う。

店を選べない。

注文できない。

冷蔵庫もない。

食べ物を保存しておくことも難しい。

自分で探して、自分で捕まえる。

失敗したら、また探す。

毎日それを繰り返して生きていた。

僕が子どもの頃に何気なく見ていた一匹のイタチも、その日の食事を求めて走っていたのかもしれない。

昭和の風景は巨大な食卓だった

ネズミ。

カエル。

昆虫。

魚。

鳥や卵。

イタチから見れば、田んぼも畑も草むらも水路も、それぞれ食べ物につながる場所だった。

当時の僕には、そんなことは分からなかった。

ただ、

「イタチがいた」

という記憶だけが残っている。

40年ほど経ってから、その記憶を食べ物という視点で見直してみる。

すると昔の景色が少し違って見える。

昭和60年頃の吉岡町。

田んぼの横を素早く走って消えていったイタチ。

あいつは、どこへ向かっていたのだろう。

もしかすると遊んでいたわけでも、逃げていたわけでもない。

ただ腹が減っていた。

そして次の一食を探していた。

人間には何でもない田舎の風景が、イタチにとっては巨大な食卓だったのかもしれない。

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