100歳まで一人飯を記録し続けたら何食になる?人生を食事データにしてみる

Solo Eating Out(ひとり外食)

今日、何を食べたか。

朝ごはん。

昼ごはん。

夜ごはん。

普通なら数日後には忘れてしまう。

一週間前の昼に何を食べたかと聞かれて、すぐ答えられる人はそれほど多くないだろう。

でも、もし毎日の一人飯を記録し続けたらどうなるのだろう。

1年。

10年。

20年。

そして100歳まで。

最初は単なる食事メモだったものが、何十年も積み重なれば巨大な記録になる。

今回は、

「100歳まで一人飯を記録し続けたら何食になるのか?」

を考えてみたい。

もちろん未来の食事回数を正確に予測することはできない。

一日2食の日もある。

誰かと食べる日もある。

旅行もする。

体調によって食生活も変わる。

だからこれは厳密な予測ではなく、毎日3食を記録すると仮定した思考実験だ。

まず1年間で何食になる?

一日3食とする。

365日なら、

3 × 365=1,095食。

一年だけでも1000食を超える。

これは意外に多い。

毎日の食事は一回ずつなので大した量に感じない。

しかし一年単位にすると、1000回以上「何かを食べる」という行動をしていることになる。

10年間なら単純計算で約1万950食。

20年間なら約2万1900食。

30年間なら約3万2850食。

食事は人生の中でも、かなり回数の多い行動なのだ。

100歳までなら何食になるのか

仮に50歳から記録を始め、100歳まで50年間続けるとする。

1,095食 × 50年。

約5万4,750食。

5万食を超える。

もちろん、これは「一日3食すべてが一人飯」という極端な仮定だ。

実際には誰かと食べる日もあるだろう。

一日2食の日もある。

だから実際の一人飯はもっと少なくなる可能性が高い。

それでも数十年間記録すれば、数万件規模になることは十分考えられる。

5万件の食事記録。

そこまで行けば、単なるブログ記事ではなくなってくる。

5万食あれば何が分かる?

例えば毎回、

日付。

時間。

料理。

店名または自宅。

価格。

場所。

一人か誰かと一緒か。

満足度。

一言感想。

これだけを記録するとする。

5万件あれば、とんでもないデータになる。

自分が人生で最も食べた料理。

最も利用した店。

一番多く食べた時間帯。

一食の平均金額。

年間外食回数。

自炊率。

ラーメンを食べた回数。

焼肉へ行った回数。

コンビニ飯の割合。

こうしたものを数字にできる。

「自分はラーメン好きだと思っていたけれど、実は一番食べていたのは定食だった」

という発見もあるかもしれない。

年齢による変化も見える

長期間記録する面白さは、量だけではない。

自分自身が変化する。

50代では焼肉をたくさん食べていた。

60代になると魚が増えた。

70代になると一食の量が減った。

80代では外食する店が変わった。

そんな変化が記録に残る可能性がある。

これは一週間の食事記録では分からない。

10年、20年と続けるから分かる。

「昔は大盛りを注文していたな」

「このころからあっさりしたラーメンが増えている」

と後から確認できる。

食事記録が、自分の変化を映す年表になる。

値段の変化も面白そうだ

食事そのものだけでなく、価格も記録しておきたい。

例えば、ある年に800円だったラーメン。

10年後はいくらになっているのか。

500円で買えた弁当はどうなるのか。

定食。

コーヒー。

焼肉。

コンビニのおにぎり。

同じような商品を何十年も記録すれば、物価の変化まで見える。

自分の食事記録なのに、

小さな経済史

のようになる。

「昔は1000円あればこれだけ食べられた」

ということを、自分自身のデータから確認できる。

店がなくなることも記録になる

長く続ければ、閉店する店も出てくる。

何十回も通ったラーメン屋。

よく一人で行った定食屋。

仕事帰りに立ち寄った店。

いつの間にかなくなっている。

でも記録が残っていれば、

「この店で、この日に、これを食べた」

という事実は残る。

写真まであれば、当時の店内や料理も振り返れる。

これは口コミサイトとは少し違う。

評価のためではない。

自分がそこにいたという生活の記録だ。

一人飯だから記録しやすい

誰かと食べる食事では、記録することを忘れることもある。

会話が中心になるからだ。

一方、一人飯は自由だ。

料理が来たら写真を一枚撮る。

価格を記録する。

食後に短い感想を書く。

それだけでいい。

「おいしかった」

「量が多かった」

「静かだった」

「また来たい」

長文を書く必要はない。

一食につき数行でも、何十年も続けば膨大な記録になる。

全部ブログ記事にする必要はない

5万食記録するからといって、5万記事を書く必要はない。

ここは分けて考えたい。

普通の食事はデータとして残す。

特に印象に残った食事だけ記事にする。

例えば、

初めて一人で入った高級寿司。

100店舗目のラーメン。

誕生日に一人で食べた焼肉。

旅行先で偶然見つけた定食屋。

昔よく通った店への最後の訪問。

こうした食事には物語がある。

日々の記録を土台にして、特別な一食を記事にする

これならSoloEatの記事も単なる店舗レビューだけではなくなる。

1万食目は何を食べている?

記録を続けるなら、節目も面白い。

100食。

1000食。

5000食。

1万食。

3万食。

5万食。

「記録開始から1万食目」

というだけで特別な一食になる。

でも実際には、高級料理とは限らない。

コンビニのおにぎりかもしれない。

納豆ご飯かもしれない。

近所のラーメンかもしれない。

むしろ、その方が面白い。

人生の大部分は特別な日ではなく、普通の日だからだ。

AIに数万食を分析させたらどうなる?

ここでAIを使ったらさらに面白い。

数万件の食事記録をデータ化する。

すると、

「10年前と比較して外食が30%減っています」

「最近は魚料理を選ぶ割合が増えています」

「最も頻繁に食べている外食はラーメンです」

「雨の日はテイクアウトが増えています」

といった分析ができるかもしれない。

さらに、

曜日。

天気。

場所。

価格。

食事時間。

満足度。

などを組み合わせれば、自分でも気づかなかった習慣が見つかる可能性がある。

自分の食生活を、自分専用AIが分析する。

数十年分のデータがあれば、かなり面白い。

写真だけでも人生が見えるかもしれない

毎回写真を一枚残す。

それだけでもいい。

50年間なら数万枚になる。

最初のころのスマートフォン写真。

数十年後の写真。

料理だけでなく、写真の画質まで変わっていく。

店の内装も変わる。

食器も変わる。

街も変わる。

そして自分の食べるものも変わる。

数万枚を時系列で並べたら、食事だけで人生の流れが見えるかもしれない。

一人飯は「孤独の記録」だけではない

「一人飯」という言葉には、少し寂しい印象を持つ人もいるかもしれない。

でも一人で食べることは、必ずしも寂しいことではない。

今日は何を食べよう。

知らない店へ行ってみよう。

久しぶりにラーメンを食べよう。

スーパーで安い刺身を見つけた。

疲れたから弁当にしよう。

そういう小さな選択が毎日ある。

それを記録すると、

「自分で自分の生活を選んできた記録」

にもなる。

途中でやめても失敗ではない

100歳まで記録する。

言葉にすると、とてつもなく長い。

当然、本当に続けられるかは分からない。

途中で飽きるかもしれない。

数か月記録しない時期もあるかもしれない。

それでもいい。

100歳まで一日も欠かさず記録すること自体が目的ではない。

1000食で終わっても1000件残る。

1万食なら1万件残る。

続けた分だけ、自分の生活の記録になる。

100歳の自分が最初の一食を見る

もし本当に100歳まで続いたとする。

そのとき、記録を始めた日の写真を見る。

何十年前の自分が食べていた一杯のラーメン。

一つの定食。

コンビニのおにぎり。

当時は何でもない食事だった。

でも50年後に見れば、意味が変わっているかもしれない。

「このころ、こんなものを食べていたんだ」

「この店によく行っていたな」

「この値段だったのか」

一食の記録が、昔の自分へ戻る入口になる。

まとめ|数万食あれば、それは食事記録ではなく人生記録になる

100歳まで一人飯を記録したら何食になるのか。

仮に50年間、一日3食すべて記録するなら、

約5万4,750食。

実際には一人ではない食事や、一日2食の日もあるため数字は変わる。

それでも、何十年も続ければ数万件の記録になる可能性がある。

最初は、

「今日ラーメンを食べた」

という一行かもしれない。

それが1000件になる。

1万件になる。

そして数万件になる。

そこには料理だけではなく、

自分の好み。

生活。

住んだ街。

通った店。

物価。

年齢による変化。

その日の気分。

さまざまなものが残っていく。

だから100歳まで一人飯を記録するという企画で、本当に面白いのは食数ではないと思う。

何万回もの「今日何を食べよう」という選択が、一人の人生として積み重なっていくこと。

100歳まで続くかどうかは分からない。

まず今日の一食を残す。

明日も一食残す。

それを続けていった先に、いつか巨大なSoloEatの食事記録ができている。

そんな未来を想像すると、一人で食べる普通の一食も、少しだけ面白く見えてくる。

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