お気に入りの店ができると、何度も通いたくなる。
一回行く。
また行く。
気に入れば10回になる。
いつの間にか50回。
さらに100回。
では、その先はどうなるのだろう。
同じ店に1000回通うことはできるのか?
1000回という数字だけを見ると、とんでもなく多く感じる。
しかし、長い人生で考えると絶対に不可能とも言い切れない。
私は一人で外食することが多い。
気に入った店なら、何度行ってもいい。
新しい店を毎回探すより、
「今日はあそこにしよう」
と自然に決められる店がある方が楽なこともある。
今回は、同じ飲食店へ1000回通うには何年必要なのか。
そして、一人客が1000回通ったらどんな常連になるのか。
数字で考えてみたい。
- まず1000回はどれくらいなのか
- 月2回でも一生なら届くかもしれない
- 一人客は1000回を狙いやすい?
- 10回くらいではまだ普通のお客?
- 100回から先は何が変わる?
- 1000回なら注文まで覚えられる?
- 一人常連の良さは「説明がいらない」こと
- でも1000回まで店が存在するとは限らない
- 自分自身も変わる
- 引っ越しはかなり大きな壁
- 値上げにも耐えられるか
- 同じ料理に飽きないのか?
- 1000回全部記録したら面白い
- 店の変化も記録できる
- 1000回目に特別なことは起こるのか
- 一人常連の限界は回数ではない
- 無理に1000回を目指さなくてもいい
- 1000回通った店は「人生の一部」になる
- まとめ|1000回は可能。でも本当に面白いのは途中の999回
まず1000回はどれくらいなのか
1000回と言われてもイメージしにくい。
そこで単純計算してみる。
毎日1回なら、
1000 ÷ 365=約2.74年。
3年弱で1000回に到達する。
かなり早い。
ただ、同じ店で毎日食べるのは現実には難しい。
そこで週単位で考える。
週5回なら年間約260回。
1000回まで約3.8年。
週3回なら年間約156回。
約6.4年。
週2回なら年間約104回。
約9.6年。
週1回なら年間約52回なので、
約19.2年。
こうして見ると印象が変わる。
週1回でも約20年続ければ1000回になる。
つまり1000回は、無茶苦茶な数字ではあるが、長期間通う常連なら現実に到達可能な数字でもある。
月2回でも一生なら届くかもしれない
さらに頻度を落としてみる。
月2回なら年間24回。
1000回まで約41.7年。
20歳から通えば60代。
30歳からなら70代。
かなり長いが、不可能ではない。
逆に月1回だと年間12回。
1000回には約83年かかる。
これは相当難しい。
つまり「同じ店に1000回」の現実的なラインは、
最低でも月2回以上、できれば週1回以上
という感じになりそうだ。
一人客は1000回を狙いやすい?
ここで「一人飯」が有利になる。
誰かと食事へ行く場合、
相手の予定。
相手の好み。
予算。
場所。
全部を合わせる必要がある。
「またあの店?」
と言われることもある。
一人なら違う。
今日食べたい。
店が開いている。
財布に問題がない。
自分が行ける。
これだけで成立する。
同じメニューを毎週食べても誰にも文句を言われない。
だから、一人飯と常連はかなり相性がいいと思う。
10回くらいではまだ普通のお客?
同じ店に10回行ったとする。
店側から見ればどうだろう。
小さな個人店なら、
「この人、前にも来たな」
と覚えられているかもしれない。
大型店なら、まだ認識されていない可能性もある。
50回ならどうだろう。
週1回で約1年。
同じ曜日。
同じ時間。
同じ席。
同じ注文。
ここまで重なると、スタッフによっては覚えている可能性が高くなる。
そして100回。
週2回なら約1年。
週1回なら約2年。
このくらいになると、かなり「常連」という感じが出てくる。
100回から先は何が変わる?
100回行った店に101回目に行く。
劇的な変化が起こるわけではない。
200回目も同じだ。
しかし、自分の中では店の存在が変わっていくと思う。
「食べに行く場所」
から、
「生活の中にある場所」
になる。
駅。
コンビニ。
スーパー。
自宅。
職場。
そして、いつもの飲食店。
生活圏の一部になる。
メニューを開かなくても注文が決まっている。
どこに何が置いてあるか知っている。
混む時間も分かる。
店に入った瞬間、
「今日は空いているな」
と分かる。
こうなると、単なる外食とは少し違ってくる。
1000回なら注文まで覚えられる?
例えば毎回、
「ホルモン定食、ご飯普通」
と頼んでいたとする。
何百回も続けば、
「いつものですか?」
となる可能性はある。
これは常連の象徴のような言葉だ。
でも、一人客として考えると、私は必ずしも店員さんと仲良くなる必要はないと思う。
常連というと、
店主と会話する。
名前を覚えられる。
特別サービスを受ける。
そんなイメージがある。
しかし、
静かに1000回通う常連
がいてもいい。
店へ行く。
注文する。
食べる。
支払う。
「ごちそうさまでした」
と言って帰る。
それを何年も続ける。
これも立派な常連だと思う。
一人常連の良さは「説明がいらない」こと
一人で何度も同じ店へ行く最大のメリットは安心感だ。
初めての店では考えることが多い。
入口はどこ?
食券?
席へ直接座る?
先払い?
後払い?
水はセルフ?
一人でも大丈夫?
混んでいる?
毎回違う店なら、毎回少し判断が必要になる。
常連店なら全部分かっている。
入る。
座る。
注文する。
食べる。
帰る。
迷わない。
食事そのものに集中できる。
疲れている日ほど、このメリットは大きい。
でも1000回まで店が存在するとは限らない
1000回通う最大の壁は、自分ではないかもしれない。
店がなくなる可能性がある。
閉店。
移転。
店主の引退。
建物の建て替え。
チェーン店なら店舗統合。
さまざまな事情がある。
週1回で1000回を目指すなら約19年。
19年間、同じ場所で同じ店が営業し続ける保証はない。
むしろ、
「自分はずっと通うつもりだったのに店が先になくなった」
というケースも十分あり得る。
そう考えると、1000回という数字は客と店の両方が積み上げる記録なのかもしれない。
自分自身も変わる
20年あれば人間も変わる。
20代だった人は40代になる。
50代だった人は70代になる。
収入が変わる。
住む場所が変わる。
仕事が変わる。
食べられる量も変わる。
好みも変わる。
若い頃なら大盛りを食べていた。
10年後には普通盛り。
さらに年月が経てば小盛りになるかもしれない。
それでも同じ店へ行く。
これは面白い。
店を記録しているようで、自分の変化まで記録することになる。
引っ越しはかなり大きな壁
1000回通うなら、距離は重要だ。
片道1時間の店へ週3回行くのは大変だ。
交通費もかかる。
往復だけで2時間。
それを何年間も続けるのは現実的ではない。
理想は生活圏内だ。
自宅から徒歩。
通勤途中。
よく利用する駅の近く。
1000回レベルになると、
「ものすごくおいしい」
だけでは足りない。
通いやすさそのものが強さになる。
値上げにも耐えられるか
もう一つの問題が価格だ。
最初は700円だった。
数年後に800円。
900円。
1000円。
長期間なら値上げする可能性は高い。
仮に平均1000円として1000回なら、
100万円。
平均1500円なら、
150万円。
焼肉などで1回3000円なら、
300万円。
1000回という回数にすると、食費もかなり大きな数字になる。
ただし、一度に払うわけではない。
10年、20年と分散して使う。
そう考えると「趣味+食事」の費用とも言える。
同じ料理に飽きないのか?
これは人による。
毎回違うものを食べたい人には1000回は厳しい。
一方、
気に入った料理なら何度でも食べられる人もいる。
ラーメン。
カレー。
牛丼。
焼肉。
定食。
寿司。
お気に入りが決まっている人なら、同じ店へ通うこと自体は苦にならない。
むしろ、
「新しい店で失敗したくない」
という気持ちが強くなると、常連店の価値は上がる。
1000回全部記録したら面白い
ここからSoloEatらしい話になる。
もし本当に1000回を目指すなら、記録してみたい。
訪問回数。
日付。
注文した料理。
金額。
滞在時間。
混雑度。
一言感想。
これだけでもいい。
1回目。
10回目。
50回目。
100回目。
500回目。
1000回目。
全部残っていたら、一つの巨大な食事記録になる。
1000回目の記事を書くとき、
「初めて来た日はこんなものを食べていた」
と振り返ることもできる。
店の変化も記録できる
長期間通えば、自分だけでなく店も変化する。
メニューが変わった。
価格が変わった。
内装が変わった。
営業時間が変わった。
スタッフが変わった。
新メニューができた。
昔あったメニューがなくなった。
一つの店を定点観測するような記録になる。
これは一般的なグルメレビューとは違う。
初回来店の感想ではなく、
「10年間通っている客から見た店」
という情報になる。
1000回目に特別なことは起こるのか
おそらく何も起こらない。
店員さんが回数を数えているわけではない。
「祝1000回来店!」
というイベントもない。
普通に店へ入る。
普通に注文する。
普通に食べる。
普通に会計する。
そして帰る。
でも自分の記録には、
1000
と残る。
それで十分だと思う。
1000回という数字の価値は、店から与えられるものではない。
自分が積み上げた時間そのものにある。
一人常連の限界は回数ではない
では、一人常連は何回まで通えるのか。
100回?
500回?
1000回?
理論上はさらに上も可能だ。
毎日10年間なら3650回前後になる。
20年間なら7000回を超える。
だから物理的な限界は1000回ではない。
本当の限界は、
その店へ行きたいと思わなくなったとき
なのかもしれない。
飽きた。
引っ越した。
価格が合わなくなった。
味が変わった。
別の店が好きになった。
あるいは店がなくなった。
そこで記録は止まる。
無理に1000回を目指さなくてもいい
1000回という数字は面白い。
でも、達成するために無理して通ったら意味が変わってしまう。
本来は、
「食べたいから行く」
場所だったはずだ。
それが、
「今日は回数を増やさないと」
になったら、食事ではなくノルマになる。
週3回を週5回にする必要もない。
1000回達成できなくてもいい。
好きだから通っていたら、結果として何百回になった。
その方が自然だ。
1000回通った店は「人生の一部」になる
もし週1回で約20年。
同じ店へ通い続けて1000回になったら、その店には20年分の自分がいる。
仕事がうまくいった日の食事。
疲れた日の食事。
給料日の食事。
何もなかった日の食事。
誕生日。
暑い夏。
寒い冬。
さまざまな日に同じ入口を通る。
一回一回は普通の食事でも、1000回まとめると人生の記録になる。
これは少し不思議だ。
まとめ|1000回は可能。でも本当に面白いのは途中の999回
同じ店へ1000回通うことはできるのか。
計算上はできる。
毎日なら約2.7年。
週5回なら約3.8年。
週3回なら約6.4年。
週2回なら約9.6年。
週1回でも約19.2年。
つまり、長く通い続けられる店なら1000回は現実的に到達可能な数字だ。
ただし、その間にはいろいろなことが起こる。
値上げ。
引っ越し。
自分の年齢。
食欲の変化。
店の変化。
そして閉店する可能性。
1000回という数字以上に面白いのは、その途中なのだと思う。
1回目には初めての店だった。
10回目にはお気に入りになった。
100回目には常連になった。
500回目には生活の一部になっているかもしれない。
そして1000回目。
いつもの席で、いつもの料理を一人で食べる。
おそらく、その一食だけを見れば何も特別ではない。
しかし、その後ろには999回の食事がある。
一人飯は、その瞬間だけならただの食事だ。でも何年も記録すれば人生のログになる。
もし本当に1000回通える店と出会えたなら、それは「おすすめの店」を一軒見つけたというだけではない。
自分の人生に長く残る一軒を見つけた、ということなのかもしれない。


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