深夜のスーパーが落ち着くようになったのは、いつ頃からだっただろう。
若い頃は、スーパーなんて昼に行く場所だった。
でも最近は違う。
夜11時を過ぎた頃。
人が減り始めた時間。
なぜか、そこへ行きたくなる。
特に理由はない。
腹が減っている時もあるし、別にそうでもない時もある。
でも、なんとなく行く。
深夜のスーパーには、独特の空気がある。
昼のスーパーとは別世界
昼間のスーパーは苦手だ。
人が多い。
家族連れ。
子供。
騒がしいカート。
なんとなく“生活の強さ”を感じる。
それに比べて、深夜のスーパーは静かだ。
疲れたサラリーマン。
無言で総菜を選ぶ中年男性。
半額シールを見ている高齢者。
みんな少し疲れている。
だから落ち着く。
半額シールを見ると安心する
深夜になると、総菜コーナーの空気が変わる。
値引きシール。
あれを見ると、妙に安心する。
もちろん節約もある。
でも、それだけじゃない。
「今日はこれでいい」
と思える。
頑張って料理しなくてもいい。
完璧じゃなくていい。
50代になると、
“ちゃんと生き延びる”
ことの方が大事になる。
なぜか毎日行ってしまう
自分でも少し不思議だった。
別に買う物がなくても行く。
牛乳だけの日もある。
水だけの日もある。
でも行く。
たぶん、自分は“空気”を買いに行っていたんだと思う。
スーパーって、生活の匂いがする。
誰かが今日を生きている空気。
それを感じると、少し安心する。
深夜の総菜コーナーは、少し切ない
唐揚げ。
焼き魚。
コロッケ。
売れ残りの弁当。
深夜の総菜コーナーには、少し切なさがある。
昼の“活気”が消えている。
でも、その感じが嫌いじゃなかった。
自分も疲れていたから。
50代になると、“回復”が最優先になる
若い頃は違った。
刺激。
遊び。
人付き合い。
そっちを求めていた。
でも今は、
「少し回復したい」
の方が強い。
深夜スーパーって、その感覚に近い。
静か。
明るい。
誰にも干渉されない。
ただ歩いているだけで、少し落ち着く。
人間観察をしてしまう
深夜のスーパーでは、つい人を見てしまう。
作業着の男性。
疲れた顔の女性。
カップ麺を大量に買う若者。
みんな色々あるんだろうな、と思う。
昼間はみんな普通に見える。
でも深夜は少し違う。
“その人の疲れ”
みたいなものが見える。
コンビニより、スーパーの方が落ち着く理由
昔はコンビニ派だった。
でも最近はスーパーが多い。
理由はたぶん、
“生活感”
があるから。
コンビニは便利すぎる。
速い。
明るい。
機械的。
でもスーパーは少し違う。
人間っぽい。
惣菜の匂い。
値引きの声。
店員の疲れた動き。
全部ひっくるめて、“生活”がある。
深夜のスーパーで、人生を考えていた
気づくと、店内をゆっくり歩いている。
特に急いでない。
飲み物コーナーを見たり、総菜を見たり、パンコーナーを見たり。
そして時々、
人生のことを考える。
このままでいいのか。
まだ何かできるのか。
あと何年動けるんだろう。
深夜って、そういうことを考えやすい。
“孤独な人の避難所”みたいだった
ある時ふと思った。
深夜のスーパーって、
“孤独な人の避難所”
なのかもしれない。
完全にひとりだと苦しい。
でも、人混みも疲れる。
その中間。
誰とも話さない。
でも、少しだけ人の気配がある。
あの距離感が、妙に落ち着く。
毎日同じ店に行くと、少し安心する
いつも同じスーパーへ行っていた。
店内配置も覚えている。
どの時間に値引きされるかも、なんとなくわかる。
同じ場所へ行くと安心する。
50代になると、
“変化”
より、
“安心できる場所”
の方が大事になる。
深夜のスーパー帰りの空気が好きだった
買い物を終えて外へ出る。
少し冷たい夜風。
静かな駐車場。
あの瞬間が好きだった。
誰にも急かされない。
少しだけ世界から切り離されている感じ。
今思うと、“回復行動”だったのかもしれない
昔は気づかなかった。
でも今思う。
あれは、
“回復”
だったんだと思う。
人間って、疲れると静かな場所を探す。
深夜のスーパーは、自分にとってそういう場所だった。
毎日深夜にスーパーへ行っていた時期を、少し覚えている
人生には、妙に記憶に残る時期がある。
何か大事件があったわけじゃない。
でも、
毎晩スーパーへ行っていた。
その事実だけが、少し残っている。
たぶんあの頃、自分はかなり疲れていた。
でも完全には折れていなかった。
だから夜のスーパーを歩きながら、静かに回復していたんだと思う。


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