子供のころ、初めてサメの肉を食べたら、どちらかと言えばまずかった

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子どものころ、一度だけ「サメの肉」を食べた記憶がある。

今でも覚えているのは、

「サメって食べられるんだ」

という驚きだ。

サメといえば、私にとっては海を泳ぐ怖い生き物だった。

テレビや図鑑で見る存在であって、食卓に並ぶものというイメージはほとんどなかった。

牛肉、豚肉、鶏肉。

魚ならサケ、マグロ、サバ。

そういう見慣れた食べ物とは違う。

「今日はサメの肉」

そう聞いただけで、子どもの私にはちょっとしたイベントだった。

ところが実際に食べてみると、感想はかなり単純だった。

どちらかと言えば、まずかった。

もちろん、これは子どものころの私が食べた一回についての記憶だ。

サメ料理そのものがおいしくない、という話ではない。

それでも「初めてサメを食べた日」は、妙に記憶に残っている。

食べる前はかなり期待していた

珍しいものを食べるときは、食べる前が一番楽しかったりする。

まして子どもだ。

「サメ」という名前だけで強そうだった。

海の中を泳ぎ、大きな口を開け、鋭い歯を持っている。

そんな生き物の肉なのだから、

「ものすごくうまいのでは?」

と勝手に期待していたのかもしれない。

少なくとも普通の魚とは違う味がすると思っていた。

食卓に出てきた肉を見ながら、

「これがサメなのか」

と思った。

見た目についての細かな記憶は、もうほとんど残っていない。

しかし、食べる直前の好奇心だけは覚えている。

恐る恐るというより、

「早く食べてみたい」

という気持ちだったと思う。

一口食べて「あれ?」

そして一口。

そこで私の期待とは少し違う結果になった。

「あれ?」

そんな感じだった。

子どもの舌なので、味を専門的に説明できるはずもない。

現在の私が当時の感覚を言葉にするなら、

「思っていたよりクセがある」

という表現が近い。

少なくとも、

「うまい!もっと食べたい!」

とはならなかった。

むしろ、

「普通の魚のほうがいいな」

と思った記憶がある。

だから私の中では、初めて食べたサメの評価は、

おいしい < まずい

だった。

ただし、ものすごくまずくて食べられないという記憶でもない。

タイトル通り「どちらかと言えばまずかった」という微妙な位置だ。

サメだからまずかったわけではない

大人になった今なら、もう少し冷静に考えられる。

食材のおいしさは、種類だけでは決まらない。

鮮度。

部位。

保存状態。

下処理。

味付け。

加熱方法。

そして食べる人の好み。

いろいろな条件で変わる。

サメ肉も地域や種類によって食文化があり、料理として利用されてきた食材だ。

そのため、私が子どものころに一度食べて「まずい寄りだった」からといって、

「サメはまずい」

と一般化することはできない。

私が食べた一皿が、たまたま自分の好みに合わなかっただけかもしれない。

調理法が違えば、まったく違う感想になった可能性もある。

ここは思い出と食材そのものの評価を分けておきたい。

子どもの味覚は正直だった

とはいえ、子どもの私はそんなことまで考えない。

おいしい。

まずい。

甘い。

苦い。

好き。

嫌い。

判断はかなり単純だ。

大人になると、

「これは珍しい食材だから」

「こういう風味を楽しむ料理だから」

と知識を加えながら食べることがある。

子どもにはそれがない。

一口食べて、自分がおいしいと感じるかどうか。

ある意味、非常に正直だ。

私にとってサメ肉は、その正直な判定で負けてしまった。

サメには申し訳ない。

それなのに何十年も覚えている

面白いのはここだ。

おいしくなかったのに、覚えている。

逆に子どものころ食べた普通の夕食のほとんどは、もう思い出せない。

何百回も魚を食べたはずだ。

肉も食べた。

カレーも食べた。

ラーメンも食べた。

しかし、

「○歳ごろの、ある日の夕食」

まで覚えているものは少ない。

それなのにサメは残った。

理由はおそらく味ではない。

初めてだったからだ。

「サメを食べる」という体験自体が珍しかった。

味の評価が高くなくても、体験としての価値は高かったのだと思う。

「まずかった」も食の思い出になる

食べ物の記事を書くと、どうしても、

「おいしかった」

「最高だった」

という話が多くなる。

もちろん、おいしいものを食べたときの記憶は残りやすい。

しかしSoloEatで残しておきたいのは、それだけではない。

期待したほどではなかった。

自分には合わなかった。

もう一度食べるかと言われたら迷う。

そんな食事も自分の食歴の一部だ。

今回のサメ肉はまさにそれだった。

私は「サメ肉最高!」とは書けない。

子どものころの記憶をそのまま書けば、

「どちらかと言えば、まずかった」

になる。

それでいいと思っている。

今食べたら評価は変わるかもしれない

ただ、今もう一度サメ肉を食べたらどうなるのか。

これは少し興味がある。

子どものころと今では味覚も違う。

食べられるものも増えた。

さらに、おいしく食べられる調理法を選べば、昔とはまったく違う印象になる可能性がある。

煮る。

焼く。

揚げる。

味付けを変える。

鮮度のよいものを食べる。

条件が変われば、

「あれ?サメってこんなにおいしかったの?」

となるかもしれない。

逆に、

「やっぱり自分には合わなかった」

となる可能性もある。

それも面白い。

何十年も前の自分と、現在の自分で同じ食材を評価する。

ちょっとした味覚のタイムカプセルだ。

珍しい食材を食べる楽しさ

私は、この経験から珍しい食材を避けるようになったわけではない。

むしろ逆かもしれない。

食べたことがないものを見ると、

「どんな味なんだろう」

と思う。

食べておいしければうれしい。

微妙でも、それはそれで経験になる。

食事には栄養を取るという目的がある。

お腹を満たす目的もある。

しかし、それだけではない。

初めての味に出会う。

知らなかった食文化を知る。

昔食べたものを思い出す。

そういう小さな体験も食事の面白さだ。

高級料理より記憶に残る一口もある

値段と記憶も、必ずしも比例しない。

高い料理だから一生覚えているとは限らない。

逆に、何気なく食べたものが何十年も残ることがある。

私にとって子どものころのサメ肉は、その一つだ。

どこの店だったのか。

正確に何歳だったのか。

どんな料理だったのか。

細かな部分は薄れてしまった。

それでも、

「子どものころ、サメを食べた」

「期待して食べた」

「思ったほどおいしくなかった」

という流れだけは残っている。

記憶というのは不思議だ。

SoloEatに残しておきたい食の記憶

SoloEatでは、今食べているものだけでなく、こうした昔の食事も残していきたい。

豪華なグルメだけが食の記録ではない。

コンビニで買ったもの。

一人で食べたラーメン。

疲れた夜の簡単な食事。

子どものころ初めて食べたもの。

そして、正直あまりおいしいと思わなかったもの。

全部まとめて、自分がこれまで食べてきた記録になる。

サメ肉を食べたあの日も、今考えれば小さな「初体験」だった。

まとめ:まずかった。でも食べてよかった

子どものころに初めて食べたサメの肉。

私の記憶では、どちらかと言えばまずかった。

期待していた分、

「こんな感じなのか」

という拍子抜けもあったのだと思う。

でも今振り返ると、食べてよかった。

おいしくなかったから失敗だった、とは思わない。

何十年たっても覚えているのだから、食体験としては相当強かったことになる。

そして今、少しだけ思う。

もう一度サメを食べてみたい。

昔の記憶と同じ味なのか。

それとも、

「意外とうまいじゃないか」

となるのか。

次に食べる機会があったら、子どものころの自分と答え合わせをしてみたい。

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