一人飯を1万回続けた先に何がある?

自炊

一人でご飯を食べる。

最初の頃は、それだけで少し特別なことに感じる。

一人で店に入って大丈夫だろうか。周囲から寂しい人だと思われないだろうか。カウンターが埋まっていたらどうしよう。

ところが100回、1000回、3000回と一人飯を重ねていくと、そんなことはほとんど考えなくなる。

では、さらにその先。

一人飯を1万回続けたら何があるのだろう。

1日1回なら約27年。1日2回なら約14年。

1万回という数字になると、もはや一時的な習慣ではない。

人生の一部だ。

今回は、一人飯を1万回続けた先に何があるのかを考えてみたい。

最初の100回は「慣れる期間」

一人飯を始めた頃は、周囲が気になる。

店に入る前に店内を見る。

一人客がいるか確認する。

できればカウンター席がいい。

混雑していたら入るのをやめることもある。

しかし100回くらい経験すると、

「一人です」

と言って店に入ることが普通になる。

ラーメンでも定食でもカフェでも、一人であること自体は問題ではないと分かる。

最初の100回で手に入るものは、一人で食べることへの慣れなのだと思う。

1000回を超えると自由になる

1000回になると、一人飯はさらに変わる。

「一人でも食べられる」から、

「一人だから好きなものを食べられる」

に変わってくる。

誰かに、

「何食べたい?」

と聞く必要がない。

昨日ラーメンを食べたのに、今日もラーメンでもいい。

朝からカレーでもいい。

夕食がスーパーの惣菜だけの日があってもいい。

自分が納得していれば成立する。

一人飯の大きなメリットは、この自由なのかもしれない。

3000回になると「頑張らない飯」を覚える

一人飯3000回くらいになると、毎回100点の食事を求めなくなる。

疲れた日は料理をしない。

スーパーで惣菜を買う。

冷凍食品を使う。

卵かけご飯でもいい。

元気な日は肉を焼く。

休日なら少し遠くの店まで食べに行く。

毎日同じテンションで食事を準備する必要はない。

むしろ長く続けるなら、

「今日はこれで十分」

と思えることが重要になる。

70点の一人飯を無理なく続ける。

これが意外と強い。

5000回で「自分の味」が分かってくる

5000回も自分で食事を選んでいれば、自分が本当に好きなものがかなり分かってくるはずだ。

流行しているから食べる。

SNSで人気だから行く。

口コミ評価が高いから並ぶ。

そういう基準から少しずつ離れていく。

自分は濃い味が好きなのか。

あっさりしたものが好きなのか。

肉なのか魚なのか。

定食なのか麺なのか。

高級店より昔ながらの定食屋が落ち着く人もいる。

5000回の選択を重ねると、他人のランキングではなく、自分自身のランキングができてくる。

1万回になると店選びが速くなる

1万回も一人飯を経験すれば、店を見る感覚も変わってくる。

入口。

席の配置。

メニュー。

値段。

混雑具合。

客層。

注文方法。

料理が出てくるまでの時間。

少し見ただけで、

「ここは一人で入りやすそうだ」

と判断できるようになる。

逆に、

「今日はやめておこう」

という判断も速い。

これはグルメ知識とは少し違う。

自分に合う店を見つける能力だ。

有名店だからいい店とは限らない。

一人で落ち着いて食べられる名もない定食屋のほうが、自分にとっては価値があることもある。

いつもの店の価値が大きくなる

若い頃は新しい店へ行くこと自体が楽しい。

しかし長く一人飯を続けると、「いつもの店」のありがたさも分かってくる。

何があるか知っている。

値段も知っている。

注文方法も知っている。

だいたい何分で料理が出てくるかも分かる。

疲れている日は、この予測できる安心感がありがたい。

毎回新しい刺激を求めなくてもいい。

同じ店で同じ定食を食べる。

それも立派な楽しみになる。

1万回食べても寂しい日はある

一人飯の達人になったからといって、寂しさが完全になくなるわけではないと思う。

一人で食べたい日もあれば、誰かと食べたい日もある。

周囲のテーブルから楽しそうな会話が聞こえてきて、

「今日は誰かと食べたかったな」

と思う夜もあるだろう。

それでいい。

一人飯に慣れることは、孤独を感じなくなることではない。

一人でいる時間を自分で扱えるようになることなのだと思う。

寂しい日は寂しい。

楽しい日は楽しい。

その感情まで否定する必要はない。

むしろ誰かとの食事が特別になる

一人飯を1万回続けた人が誰かと食事をすると、その時間は逆に新鮮かもしれない。

「これ、うまいね」

と言える。

相手が注文した料理を見る。

少し交換して食べる。

次はどこへ行こうかと話す。

普段一人だからこそ、そんな普通の時間が特別になる。

一人飯と誰かとの食事は、どちらか一方を選ぶものではない。

一人で食べられるからこそ、誰かと食べることも自由に選べる。

ここまで来ると、一人飯は孤独ではなく選択肢になる。

食事の豪華さより「続けられる」が重要になる

1万回という長い期間で考えると、毎日高級料理を食べる必要はない。

むしろ重要なのは、

安すぎない。

高すぎない。

面倒すぎない。

偏りすぎない。

そして、おいしい。

このバランスだ。

豪華な100点の食事をたまに楽しみながら、普段は70~80点でいい。

一人飯を長く続けるほど、日常飯の強さが分かってくる。

白いご飯。

味噌汁。

卵。

豆腐。

肉や魚。

野菜。

そんな普通の食事に戻ってくることもある。

1万回目は意外と普通かもしれない

もし一人飯を正確に数えていたとして、記念すべき1万回目には何を食べるだろう。

高級寿司。

焼肉。

ステーキ。

豪華なコース料理。

せっかくだから特別なものを食べてもいい。

しかし私が想像する1万回目は、もっと普通だ。

近所の定食屋に入る。

いつもの席に座る。

いつもの定食を注文する。

あるいはスーパーで惣菜を買って家へ帰る。

そして食べ終わった後、

「これで1万回か」

と思う。

次の日には、1万1回目の一人飯が待っている。

人生はそうやって続いていく。

1万回の先にあるのは「自分の基準」

一人飯を1万回続けたからといって、特別な称号がもらえるわけではない。

料理の専門家になるわけでもない。

しかし、一つだけ確実に増えているものがある。

自分で選んだ経験だ。

今日は何を食べる。

どこで食べる。

いくら使う。

自炊する。

外食する。

買って帰る。

誰かと食べる。

一人で食べる。

1万回近くそれを繰り返せば、「自分にとってちょうどいい食事」が見えてくる。

他人の正解ではない。

自分の生活に合った正解だ。

一人飯1万回の先に何がある?

結局、一人飯1万回の先にあるのは、豪華な料理でも究極のグルメ知識でもないのだと思う。

あるのは、

「自分の食事を自分で決められる」という当たり前の自由。

一人でも店へ行ける。

家でも食べられる。

疲れたら買って帰れる。

誰かと食べたければ誘ってもいい。

一人でいたければ静かに食べればいい。

100回目には「一人でも大丈夫」と思う。

1000回目には「一人って自由だ」と思う。

3000回目には「頑張らなくてもいい」と気づく。

そして1万回目には、おそらく何も考えなくなる。

ただ腹が減ったから、好きなものを食べる。

それでいい。

一人飯1万回の先にあるのは、「一人飯」という言葉さえ必要なくなるくらい、自分らしい普通の食事なのかもしれない。

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