人生で1日食べないことはなかったかもしれない。食べることが毎日を支えてくれた

Solo Home Meals(家でひとりごはん)

はじめに

人生を振り返ってみると、私は「一日まったく食べなかった日」は、ほとんどなかったように思う。

忙しい日。

疲れた日。

お金が少なかった日。

仕事で落ち込んだ日。

引っ越しで慌ただしかった日。

どんな一日でも、何かしら口にしてきた。

おにぎり一つの日もあれば、コンビニのパンだけの日もある。

焼肉をお腹いっぱい食べた日もある。

食べる量は違っても、「食べる」という行為だけは途切れなかった。

今回は、そんな当たり前のようで当たり前ではない「毎日食べること」について考えてみたい。


食べることは生きることだった

子どもの頃は深く考えなかった。

朝になると朝食があり、

学校へ行けば給食があり、

家へ帰れば夕食があった。

大人になってから気付く。

食事は誰かが用意してくれていた。

そのありがたさを理解したのは、ひとり暮らしを始めてからだった。


一人暮らしになると食事は自分次第

誰も作ってくれない。

買いに行くのも自分。

作るのも自分。

片付けるのも自分。

疲れて帰宅すると、

「今日は食べなくてもいいかな。」

そう思う日もある。

それでも結局はコンビニへ行く。

スーパーへ寄る。

何かを買って食べる。

食べることで少しだけ元気が戻るからだ。


豪華な食事でなくてもいい

毎日焼肉を食べる必要はない。

高級寿司も毎日は必要ない。

おにぎり一個。

カップ麺。

バナナ。

サンドイッチ。

そんな食事でも十分救われる日がある。

大切なのは豪華さではなく、「食べること」なのだと思う。


食欲があることは幸せ

体調を崩したとき、

食欲がなくなることがある。

その時に初めて気付く。

「食べたい」と思えること自体が健康なのだ。

普段は当たり前すぎて気付かない。

しかし、食欲は健康のバロメーターでもある。


一人で食べても意味はある

「一人飯は寂しい。」

そんな声も聞く。

もちろん誰かと食べる楽しさはある。

しかし、一人で食べる時間にも価値がある。

静かに考え事をする。

今日を振り返る。

明日の予定を考える。

食事は体だけでなく、心を整える時間にもなっている。


コンビニにも何度助けられたか分からない

夜遅く帰宅した日。

疲れて料理する気力がない日。

そんな時はコンビニへ向かう。

おにぎり。

弁当。

サラダ。

温かいスープ。

24時間営業の店があるだけで安心できる。

現代社会ではコンビニも生活を支える存在になっている。


食べることで前向きになれる

空腹のままだと考え方まで暗くなる。

少し食べるだけで、

「もう少し頑張ろう。」

そんな気持ちになることがある。

脳にもエネルギーが届く。

心にも少し余裕が生まれる。

食事には、栄養以上の力があるように感じる。


食べ続けたから今がある

50年以上生きてきた。

その間、一日三食の日もあれば、一食だけの日もあった。

食べ放題へ行った日もある。

コンビニだけの日もある。

それでも毎日何かを食べてきた。

一回一回の食事は小さい。

しかし、それが積み重なって今の自分を作っている。


「いただきます」の意味

昔は何気なく言っていた。

「いただきます。」

今は少し意味が違う。

食材を作る人。

運ぶ人。

売る人。

料理する人。

たくさんの人のおかげで食事ができる。

そのことを考えるようになった。


明日もきっと何かを食べる

明日も仕事がある。

忙しいかもしれない。

疲れているかもしれない。

それでも私は何かを食べるだろう。

おにぎり一つかもしれない。

牛丼かもしれない。

ラーメンかもしれない。

その一食が、また明日を生きる力になる。


まとめ

人生で一日まったく食べなかった日は、おそらくほとんどなかった。

当たり前のように続けてきた食事は、実は人生を支える大切な習慣だった。

豪華な料理でなくてもいい。

コンビニのおにぎりでも、温かい味噌汁でも、一杯のラーメンでもいい。

「今日も食べられた。」

その積み重ねが健康をつくり、毎日を前へ進める力になっている。

だから私はこれからも、一人でも、自分のペースで、食べる時間を大切にしていきたいと思う。

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