50代になると、食事は少しずつ変わっていく。
若い頃みたいに、「今日は何食べよう」とワクワクする日が減る。
もちろん、美味しいものを食べたい気持ちはある。でも、それ以上に、
「面倒くさくない」
「高すぎない」
「胃に重くない」
「あとで後悔しない」
そういう条件が強くなってくる。
特に、50代独身男性の食生活は、かなりリアルに“生き方”が出る。
誰かのための料理ではない。
家族の健康を考えた献立でもない。
自分一人だけの食事。
だからこそ、自由でもあり、同時に、かなり雑にもなる。
50代になると、食べるものが固定されていく
気づけば、毎日似たようなものを食べている。
サバ缶。
納豆。
卵。
豆腐。
味噌汁。
コンビニのおにぎり。
冷凍パスタ。
若い頃は、「こんな地味な飯、嫌だ」と思っていたのに、50代になると、逆に落ち着く。
変に脂っこいものを食べると、翌日しんどい。
ラーメンのスープを飲み干しただけで、身体が重くなる。
深夜の食べ放題なんて、もう戦いに近い。
だから、自然と“身体がラクなもの”へ戻っていく。
「健康」と「面倒くさい」の間で揺れる
面白いのは、健康を意識しているわけではない人でも、結果的に似たような食生活になることだ。
「節約したい」
「作るの面倒」
「片付けたくない」
その結果、シンプルなものへ集約されていく。
サバ缶が人気なのも、よく分かる。
開けるだけ。
タンパク質が多い。
保存できる。
意外と腹にたまる。
50代になると、“ラクなのに最低限マシ”な食べ物が強くなる。
昔は、「今日は焼肉!」みたいな勢いがあった。
今は、「今日は味噌汁あるだけでいいか」に変わる。
地味な食事なのに、妙に落ち着く夜がある
それを寂しいと思う日もある。
でも、不思議と安心する日もある。
深夜、静かな部屋で食べる納豆ご飯。
レンジで温めた白米。
インスタント味噌汁。
若い頃なら、“負け組の飯”に見えていたかもしれない。
でも50代になると、そういう食事のほうが、身体にも心にも優しかったりする。
独身男性の食事は、どんどん「作業」になる
特に独身だと、食事はどんどん“作業化”していく。
腹が減った。
何か入れる。
終わり。
会話もない。
誰かが「美味しいね」と言うわけでもない。
自分一人。
だから、外食に行く意味も少し変わる。
若い頃は、「店選び」が楽しかった。
今は、「静かかどうか」のほうが大事になる。
騒がしい店が疲れる。
若者だらけの空間がしんどい。
並ぶだけで疲弊する。
結果、いつものチェーン店へ戻っていく。
松屋。
やよい軒。
富士そば。
日高屋。
そして、同じ席に座る。
「ああ、今日も終わったな」
そう思いながら食べる夜もある。
孤独には、少しずつ慣れていく
でも、そういう時間が完全に嫌かと言われると、実はそうでもない。
50代になると、“孤独に慣れる力”みたいなものが少しずつ付いてくる。
もちろん、寂しい日はある。
誰とも話さない休日。
コンビニ店員としか会話しない日。
冷蔵庫の音だけ聞こえる部屋。
そういう夜は、結構ある。
でも、人は意外と慣れる。
むしろ、誰にも気を遣わなくていい食事に、安心することも増える。
好きな時間に食べる。
好きなものを食べる。
食べたくなければ食べない。
その自由は、独身生活の大きな特徴だと思う。
本当に危ないのは、「食への興味」が消えること
ただ、問題もある。
栄養が偏る。
食事量が減る。
食べること自体が面倒になる。
特に危ないのは、“食への興味そのもの”が薄くなることだ。
若い頃は空腹がエンタメだった。
今は、「まあ、何でもいいか」が増える。
すると、どんどん単調になる。
毎日同じ。
同じコンビニ。
同じ弁当。
同じ飲み物。
これは、身体だけじゃなく、気持ちにも影響してくる。
50代の食生活は、その人の人生が出る
だから、50代独身男性に必要なのは、豪華な食事じゃない気がする。
高級寿司でもない。
映えるカフェでもない。
「少しだけ、自分を雑に扱わない食事」
それが重要なんだと思う。
卵を一個追加する。
味噌汁を飲む。
野菜を少し入れる。
温かいものを食べる。
それだけで、かなり違う。
結局、50代の食生活は、“人生の縮図”みたいになる。
雑に生きると、食事も雑になる。
少し立て直そうとすると、食事も変わる。
逆に言えば、食事だけは、まだ変えられる。
どれだけ人生が混乱していても、
深夜に味噌汁を飲むことはできる。
サバ缶を開けることもできる。
コンビニで少しだけマシなものを選ぶこともできる。
50代独身男性の食生活は、決してキラキラしていない。
でも、リアルだ。
そして、そのリアルさの中に、その人の人生が結構出る。
今日も、どこかの部屋で、誰かが静かに納豆を混ぜている。


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