同じ店に100回通ったら店員に覚えられる?一人常連になるまでを考えてみた

Solo Eating Out(ひとり外食)

一人で外食していると、「この店、もう何回来ただろう」と思うことがある。

最初は何となく入った店だった。

それが2回、3回と増え、気づけば毎週のように通っている。

そこで気になるのが、

同じ店に100回通ったら、店員に覚えられるのか?

ということだ。

100回といえばかなりの回数だ。

週1回なら約2年。週2回なら約1年。週3回なら8か月ほどで到達する。

これだけ通えば、さすがに顔くらい覚えられそうな気もする。

しかし実際には、「100回」という数字だけでは決まらない。

今回は、一人客が同じ飲食店へ100回通ったらどうなるのかを、SoloEatらしく考えてみたい。

1回目|当然ただのお客さん

初めて入る店では、自分は大勢いる客の一人だ。

注文して、食べて、会計して帰る。

店員との会話も、

「いらっしゃいませ」

「ご注文は?」

「ありがとうございました」

くらいかもしれない。

こちらにとっては「初めて来た店」なので記憶に残る。

しかし店員側からすると、その日だけでも何十人、人気店なら何百人という客を見る。

一度来ただけで覚えてもらえるとは限らない。

これは当然だろう。

3回目|自分だけが店に慣れてくる

3回くらい行くと、自分側には変化が出てくる。

入口から席まで迷わない。

メニューの位置も分かる。

注文方法も分かる。

水がセルフサービスなのかも知っている。

つまり、

店に対する緊張がなくなってくる。

しかし店員からすると、まだ「見たことがあるような気がする」程度かもしれない。

客側と店員側では、記憶の進み方が違うのだ。

10回目|顔を見たことがある客になる?

10回ほど通えば、少し状況が変わってくる。

特に毎回似た曜日、似た時間に行っている場合だ。

例えば、

毎週土曜日の12時。

いつも一人。

カウンター席。

注文もだいたい同じ。

こうなると特徴が重なる。

店員から見ても、

「この人、前にも来ていたな」

となる可能性は高くなる。

ここで重要なのは、単純な来店回数だけではない。

頻度と規則性だ。

半年に10回来る人より、10日連続で来る人のほうが覚えられやすい場合もあるだろう。

20回目|「いつもの人」になり始める

20回まで来ると、店によっては完全に顔を覚えられているかもしれない。

ただし、名前までは知られていない。

店員同士では、

「あのいつも一人で来る人」

「いつも○○を頼む人」

くらいの認識かもしれない。

これも立派な常連の入口だと思う。

常連というと、店主と仲良く話しながら食べる人を想像するかもしれない。

しかし、必ずしも会話は必要ではない。

静かに来る。

注文する。

食べる。

会計する。

帰る。

それを繰り返す。

「しゃべらない常連」だって存在する。

SoloEat的には、この距離感がちょうどいい人も多いのではないだろうか。

30回目|注文まで覚えられる可能性

いつも同じ料理を注文している人なら、30回前後から注文内容まで覚えられる可能性が出てくる。

店に入った瞬間、

「いつものですか?」

と言われる。

これは一人外食を続けている人にとって、少し特別な瞬間だ。

自分から「常連です」と言ったわけではない。

会員登録したわけでもない。

ただ食べに来ていただけ。

それでも店側の記憶の中に自分が存在している。

一人飯という個人的な時間の中に、ほんの少しだけ人とのつながりが生まれる。

50回目|かなり高い確率で顔は認識される?

50回来店。

週1回なら約1年だ。

小さな個人店で、同じスタッフが働いているなら、かなり目立つ存在になるだろう。

一方、大型チェーン店では事情が違う。

スタッフが多い。

シフトが変わる。

異動もある。

店長が変わることもある。

そのため50回通っても、「全員から覚えられる」とは限らない。

ここが面白い。

常連度は来店回数だけでは決まらない。

店の規模。

スタッフ数。

来店時間。

注文内容。

滞在時間。

そして自分自身の特徴。

さまざまな要素で変わる。

100回目|さすがに覚えられる?

では本題。

同じ店に100回通ったらどうなるのか。

小規模な店に短期間で100回通い、同じ店員と何度も顔を合わせているなら、顔を覚えられている可能性はかなり高いだろう。

しかし、

「100回行けば必ず覚えられる」とまでは言えない。

例えば24時間営業の大型店に3年間で100回来たとしても、毎回スタッフが違えば難しい。

逆に個人経営の小さな定食屋へ毎週2回、同じ時間帯に通えば、100回よりずっと前に覚えられる可能性がある。

つまり100回という数字は一つの目安にすぎない。

覚えられやすい一人客には特徴がある

店員から見て覚えやすい条件を考えると、いくつかある。

まず、来店時間が一定であること。

次に、注文する料理が似ていること。

そして一人で来ること。

実は一人客は、場合によっては覚えてもらいやすい。

毎回違うメンバーのグループで来る人より、

「毎週水曜日の夜に一人で定食を食べる人」

のほうが一つのパターンとして認識しやすいからだ。

だから無理に店員と会話しなくてもいい。

普通に通っているだけで、自然に覚えられることはある。

常連だから特別扱いを期待しない

一方で、100回通ったとしても注意したいことがある。

常連だから特別扱いされて当然とは考えないことだ。

いつもの席に別の客が座っていることもある。

混雑していれば待つ。

サービスが付かない日もある。

店員が忙しくて話せない日もある。

100回通ったことは、自分にとって大きな記録かもしれない。

しかし店側に何かを要求する権利が生まれるわけではない。

むしろ長く通いたい店ほど、普通のお客さんとして利用するくらいがちょうどいい。

店員と仲良くならなくてもいい

一人外食が好きな人の中には、店員との会話が苦手な人もいると思う。

顔を覚えられると、

「話さないと失礼かな」

と感じることもあるかもしれない。

でも無理に会話を増やす必要はない。

軽く会釈する。

「ごちそうさまでした」と言う。

それだけでも十分だ。

一人で静かに食事をしたいから、その店に通っている人だっている。

常連=店員と友達

ではない。

「お互い顔は知っているけれど、必要以上には話さない」。

そんな関係も心地いい。

100回通える店は、それだけですごい

ここで考え方を変えてみる。

店員に覚えられるかより、

自分が同じ店へ100回通えたこと

のほうが面白いのではないか。

料理がおいしくなければ100回も行かない。

値段が自分に合わなければ続かない。

居心地が悪ければ途中で別の店へ行く。

場所が不便でも続かない。

100回通ったという事実は、その店が自分の生活にかなり合っていた証拠でもある。

年間100回なら、約3〜4日に1回。

人生の食事の一部を、その店に任せていることになる。

いつの間にか「生活の場所」になる

最初は単なる飲食店だった。

10回目には慣れた店。

30回目にはいつもの店。

50回目には安心する店。

そして100回目には、

生活の一部になっている店。

そう考えると、一人常連という存在は面白い。

特別なイベントは何もない。

予約もしない。

記念日でもない。

ただ腹が減ったから行く。

いつもの料理を食べる。

そして帰る。

でも、その普通の行動を100回積み重ねると、自分の人生の記録になる。

まとめ|100回より大切なのは「また行きたい」

同じ店に100回通れば、店員に覚えられる可能性は高くなる。

特に小さな店で、同じ曜日・時間帯に通っていれば、100回よりかなり早い段階で顔を認識されることもあるだろう。

ただし、100回なら必ず覚えられるというルールはない。

そして本当に大切なのは、店員に覚えてもらうことでもない。

「またここで食べたい」と100回思えたこと。

それ自体が、一人飯ではかなり幸せなことなのかもしれない。

一人で入った最初の日には、ただの知らない店だった。

それが何十回も通ううちに、「いつもの店」へ変わっていく。

店員に名前を知られていなくてもいい。

長話をしなくてもいい。

いつもの席が決まっていなくてもいい。

店の扉を開けたときに、

「今日もここで食べよう」

と思える。

100回通った先にあるのは、「常連」という肩書きよりも、そんな小さな安心感なのだと思う。

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