ポテトチップスは、毎日食べたいものではない。
むしろ、普段の食事としては選ばない。
それでも、たまに無性に食べたくなる瞬間がある。
空腹というほどではない。
甘いものが欲しいわけでもない。
なのに、スーパーやコンビニで、気づくと手に取っている。
この衝動は、味そのものだけが理由ではない。
ポテトチップスは、「食事」と「間食」の間にある。
ご飯ほど重くなく、
お菓子ほど気合もいらない。
何も考えずに口に運べる。
ひとりでいるとき、特にこの存在感が強くなる。
仕事が終わった夜。
何かを頑張ったわけでも、失敗したわけでもない。
ただ、一日が終わったという感覚だけが残っている。
そんなとき、
・調理したくない
・判断したくない
・選びたくない
この三つが重なる。
ポテトチップスは、その状態にちょうどいい。
袋を開ければ、すぐに食べられる。
温めも、盛り付けも、後片付けもいらない。
味も、分かりきっている。
驚きはない。
失敗もしない。
だから、脳が安心する。
もう一つの理由は、音と食感だと思う。
パリッという音。
噛んだ瞬間の軽さ。
これは、ご飯やパンでは代替できない。
無意識のストレスは、
「噛む」「音を出す」ことで、少しだけ抜ける。
だから、疲れている日ほど、
ポテトチップスが選ばれやすい。
栄養のためではない。
満腹のためでもない。
感情の調整に近い。
ひとり飯が続くと、
食事は効率化される。
タンパク質、コスパ、手間。
正しい選択ばかりになる。
その反動として、
「正しくないもの」が欲しくなる。
ポテトチップスは、
背徳感が小さく、
言い訳がいらない。
・今日はこれでいい
・毎日じゃない
・少しだけ
そうやって、自分を許可できる。
袋を開けて、
気づいたら半分なくなっている。
満足というより、落ち着いた、という感覚。
食べ終わると、
「まあ、こんなもんか」と思う。
強烈な幸福はない。
でも、不足も残らない。
それが、ポテトチップスの役割だ。
ひとりで暮らしていると、
誰にも見られない。
注意もされない。
止められもしない。
だからこそ、
たまに食べてしまう自分を責めなくていい。
ポテトチップスを買う日は、
自炊をサボった日ではない。
意思が弱い日でもない。
ただ、
「今日はこれくらいで整えたい」
そう思った日だ。
ひとり飯には、
栄養も大事だが、
こういう逃げ場も必要だと思う。
ポテトチップスは、
主役ではない。
でも、生活の端に置いておくと、たまに役立つ存在だ。
だから、
たまに食べたくなり、
たまに買ってしまう。
それでいい。


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