子どもの頃、今ではあまり見かけなくなった体験をしたことがある。
田んぼでイナゴを捕まえ、自分で焼いて食べたことだ。
今では昆虫食という言葉をニュースなどで耳にすることがあるが、当時の私にとってはそんな大げさな話ではなかった。
ただ、「イナゴは食べられるらしい」という話を聞き、好奇心からやってみたのである。
とはいえ、実際に食べられたのはたった1匹。
それが限界だった。
秋の田んぼにはイナゴがたくさんいた
秋になると、田んぼにはたくさんのイナゴがいた。
近づくと、一斉にピョンピョンと飛び跳ねる。
子どもにとっては、それだけでも遊びだった。
虫取り網を持って追いかけたり、素手で捕まえようとしたり。
何匹も捕まえるのは意外と難しく、逃げられることも多かった。
それでも夢中になって追いかけていると、あっという間に時間が過ぎていった。
自然の中で遊ぶことが当たり前だった時代の思い出である。
「食べられる」と聞いて興味が湧いた
大人から「イナゴは昔から食べられている」と聞いた。
スーパーで売られている肉や魚とはまったく違う。
本当に食べられるのだろうか。
半信半疑だったが、子どもらしい好奇心が勝った。
「一度くらい食べてみよう。」
そんな軽い気持ちだった。
焼いてみると意外な匂い
捕まえたイナゴを焼いてみる。
火が通るにつれ、香ばしいような独特の匂いが漂った。
見た目は、やはり虫である。
頭では「食べられる」と分かっていても、口へ運ぶには勇気が必要だった。
何度もためらいながら、ようやく一口。
パリッとした食感だったことだけは今でも覚えている。
1匹で十分だった
「もう1匹食べる?」
そう聞かれても、私は首を横に振った。
決してまずかったわけではない。
ただ、見た目の印象が強く、次へ進む勇気が出なかった。
結局、食べられたのは1匹だけ。
子どもの私には、それが精いっぱいだった。
今思えば貴重な体験
大人になってから考えると、イナゴを自分で捕まえ、焼いて食べる経験はなかなかできるものではない。
地域によっては昔から食文化として受け継がれてきた歴史もある。
当時はそんなことを知らなかった。
ただ「やってみた」という思い出だった。
今振り返ると、その土地ならではの文化に少しだけ触れられた時間だったのかもしれない。
食べることへの感謝も感じた
普段の食事では、食材がどこから来たのかを意識することは少ない。
しかし、自分で捕まえたイナゴを前にすると、「命をいただく」ということを少しだけ考えた。
子どもながらに、食べ物は簡単に手に入るものではないと感じた記憶がある。
その経験は、小さなことだったかもしれないが、今でも心に残っている。
今なら食べられるだろうか
もし今、「イナゴを食べますか」と聞かれたらどうだろう。
おそらく、また1匹くらいなら挑戦するかもしれない。
しかし、何十匹も食べられる自信はない。
子どもの頃と同じように、「1匹で十分です」と答える気がする。
それでも、あの体験を後悔したことは一度もない。
やってみたからこそ分かったことがあり、今でも家族や友人との話題になることがある。
まとめ
田んぼでイナゴを捕まえ、焼いて食べた。
たったそれだけの出来事だが、何十年たった今でも鮮明に覚えている。
自然の中で遊び、自分の手で捕まえ、勇気を出して口にした1匹。
子どもの頃だからこそできた体験だったのかもしれない。
今では同じことをする機会はほとんどない。
だからこそ、あの日の田んぼの景色や、飛び跳ねるイナゴ、そして「1匹がやっとだった」という記憶は、私にとって忘れられない「食」の思い出になっている。


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