都内の滑り台でオレンジジュースを飲んだ午後。ひとり時間が思った以上に心地よかった|SoloEat

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都内の滑り台でひとり、オレンジジュースを飲んだ午後|SoloEat**

大人になってから、滑り台に座ることなんてほとんどなかった。
都内の公園は子どもの声でにぎやかで、「大人が滑り台にいる」なんて少し浮く気がして。
でも、平日の昼は違う。
子どもも少なく、ベンチには仕事の合間に休む人がちらほら。
その中にいても、誰が何をしているかなんて、誰も気にしていない。

だから僕は、そっと滑り台の上に座った。
コンビニで買ったオレンジジュースのパックを片手に。

目の前に広がるのは、都内とは思えないほど静かな空間。
ビルのすき間から差し込む光、遠くで聞こえる車の音、風で揺れる葉のカサカサという音。
滑り台の金属は少しひんやりしていて、その冷たさが背中に心地よかった。

パックのストローを口にくわえて、オレンジジュースを吸う。
酸味がふわっと広がって、自然と肩の力が抜けていく。

ふと、「子どもの頃も、こんなふうに滑り台で何かを飲んでいたかもしれない」と思った。
友達と遊びながら飲んだ炭酸ジュース、夏休みに母親が持たせてくれた麦茶。
あの頃は、飲むことも遊ぶことも、すべてが“ただ楽しい”だけだった。

でも今の僕は、
「ひとりで滑り台に座ってジュースを飲む」という時間が、なぜかものすごく贅沢に感じた。

忙しい日々のなかで忘れていた“何もしない時間”。
外食でもなく、カフェでもなく、ただの公園の滑り台。
そこで飲むオレンジジュースが、こんなに落ち着くとは思わなかった。

ジュースの甘さは、どこか懐かしい味だった。
コンビニの100円の紙パックなのに、やけに美味しく感じる。
きっと、体がシンプルなものを欲していたのかもしれない。

滑り台から見下ろす景色は低い。
子どもの視点。
でも大人になってから久しぶりに見ると、
「世界ってこんなふうに見えてたんだな」って、胸の奥が少し温かくなる。

公園を歩く人たちは、誰も僕を見ていない。
スマホを見ている人、犬の散歩をしている人、ベンチで寝ている人。
都内の公園は、意外と“ひとりの自由”を許してくれる場所だ。

ゆっくりジュースを飲み終えて、ストローを抜く。
少しだけ風が強くなって、滑り台の上の落ち葉がカラカラと音を立てた。

「大人がこういうことをしてもいいんだ」
そう思えた瞬間、なんだか心が軽くなった。

ひとりで滑り台に座り、オレンジジュースを飲むだけの時間。
けれど、こういうささやかな体験が、ソロ飯やソロ時間をより豊かにしていく。

誰かと一緒に食べることだけが幸せじゃない。
自分だけのペースで、好きな時に、好きな物を口にする。
それが、大人のひとり遊びであり、ひとり食の楽しみ方だと思う。

滑り台を降りて帰る頃には、気持ちがすっきりしていた。
都内の公園で飲んだオレンジジュース。
ただそれだけなのに、少し人生が整ったような気さえした。

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