高校の帰り道、空腹に負けて自転車をこぎながら焼き鳥をかじった話

Solo Grab & Eat(買って食べる)

高校の帰り道、空腹に勝てない日があった。
部活もバイトもしていなかったけれど、なぜか毎日ヘトヘトで、
家に着くまで待てないほど腹が減っていた。

学校の近くにあったコンビニの、
あのホットスナックのガラスケース。
放課後のあの時間は、部活帰りの生徒たちが並ぶ前の“空いてる瞬間”。
そこで売られていた**焼き鳥(たれ)**が、どうしても忘れられない。

レジで支払って、
熱さが残る袋を受け取った瞬間、
もう我慢は限界だった。

自転車にまたがり、
片手運転しながら、
焼き鳥の袋を開けて、
まだ湯気の残った一本を口に運んだ。

最初のひと口だけで、
なんか全部どうでもよくなった。

テストとか、
部活の空気とか、
友達付き合いの面倒くささとか、
家に帰ってからの親の小言とか。

ぜんぶ、いったん横に置けた。

あの帰り道は、
誰にも見られていないようで、
でも街灯と夕焼けだけが照らしてくれる、
不思議な時間だった。

“ひとりで食べる” ことが恥ずかしいと思う感覚も、
あの頃の僕にはなかった。
ただ、腹が減って、焼き鳥がうまくて、
風を切りながら食べるあの瞬間が、
なぜか最高に自由だった。

家に帰るまでの15分。
その間に、焼き鳥はいつも一本だけなくなる。
串だけが右手に残って、
ちょっとだけ罪悪感を抱えながら家に入る。

でも今思えば、
あの短い時間こそ、
“ひとり飯”がくれた自由だった。

誰かと共有する必要もない、
写真を撮る必要もない、
SNSに投稿する必要もない、
ただ自分のためだけのひと口。

社会人になって気づいた。
あの焼き鳥一本が救ってくれたものは、
腹の減りだけじゃなくて、
“ひとりの時間”の大切さだったんだと。

いまソロ飯メディアを作ったり、
ひとりのご飯を肯定する記事を書いているのは、
たぶんあの頃の自分に、少し返しているのかもしれない。

自転車をこぎながら食べた焼き鳥の温かさは、
もう二度と同じ味では感じられないけれど、
あの時の自由と、あの孤独と、
あの一本の焼き鳥が教えてくれた“救い”だけは、
今でも胸のなかに残っている。

あの瞬間こそ、
僕のソロ飯の原点だった。

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