朝300kcal食べて3時間散歩したら、昼頃とんでもなく空腹になった話

Solo Home Meals(家でひとりごはん)

朝300kcalだけ食べて3時間散歩したら、昼には“本能レベルの空腹”が来た話|SoloEat**

朝、軽く300kcalだけ食べて外に出た。
コーヒーにトースト半分、あるいはバナナ1本とヨーグルト。
「まあ、これくらいで十分だろう」と思いながら、いつものルートより少し長めに歩いてみることにした。

3時間。
公園を抜け、川沿いを歩き、街の小さな商店街を横切り、また公園へ戻る。
ただ歩くだけなのに、気持ちは妙にすっきりして、頭の中のいろんなざわざわが静かになっていく。
散歩は、体を動かすというより、“心をほぐす時間”だとつくづく感じた。

けれど、11時を過ぎたあたりから、体の奥のほうで変化が起きた。
お腹が、かなり、本気で、空いてきた。

最初は「少し減ってきたな」くらいだった。
でも、その数十分後には、
「これはもう体がエネルギーを全力で求めているやつだ」
と分かるレベルの空腹感に変わった。

朝300kcalでは、明らかにエネルギーが足りなかったのだ。
散歩は“運動ではない”と思っていたが、3時間歩くと話は別だ。
ゆっくりでも1時間200〜250kcalは消費する。
つまり、朝食分は散歩の途中で消え去り、
そのあとずっと“空のタンク”で歩いていたことになる。

だからか、空腹の感覚も、普段とはまったく違っていた。
単なる「お腹すいたな」ではなく、
細胞レベルで食べ物を欲している感覚
からっぽになった体に、エネルギーを戻したいという生き物としての欲求。

この感覚、悪くなかった。
ソロで散歩していると、自分の“身体の声”に敏感になる。
普段は忙しさでごまかしている感覚が、散歩の静けさによって浮かび上がってくる。

そして思った。
「今日はいつもより美味しくお昼が食べられるぞ」と。

コンビニの前を通ったとき、唐揚げの匂いがした。
信号待ちで、ラーメン店の湯気が目に入った。
ただの通り道なのに、食べ物の気配がいつもより濃く感じられる。
空腹は、世界の彩度を上げる。

結局、散歩を終えて家に帰る前に、近くの小さな定食屋に入った。
選んだのは、焼き魚定食。
普段なら「地味だな」と思うメニューなのに、その日は特別に見えた。

ご飯を口に運んだ瞬間、体の隅々まで染み渡っていく感じがした。
空腹が作る“最高の調味料”という言葉は本当だ。
味噌汁の温かさが胃に落ちていくのを感じながら、
「この感覚を味わうために歩いていたのかもしれない」とさえ思った。

ひとりで食べるごはんは、誰とも話さず、空気を読まなくていい。
そのぶん、体の声にまっすぐ答える食事になる。
好きなものを選び、好きな速度で食べ、好きなタイミングで満たされていく。

朝300kcal → 散歩3時間 → 昼の強烈な空腹。
これはただの“食事の前段階”ではなく、
食欲という原始的な感覚と、自分の体の状態を再確認する体験だった。

またやろうと思う。
朝を軽くして、ゆっくり歩いて、
“本気の空腹”を感じてから食べるソロ飯。

たったそれだけで、
普段のごはんが何倍も美味しくなるのだから。

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