群馬の沼田で、野ウサギを撃ったことがある。
観光でも、イベントでもない。もっと生活に近い、静かな出来事だった。
山の空気は澄んでいて、音が少ない。
雪が残る季節だったか、霜の降りた朝だったかは曖昧だが、
銃声だけがやけに響いたのを覚えている。
倒れた野ウサギは、思っていたよりずっと小さかった。
テレビや本で見る「野生動物」と違い、
目の前にあるのは、ただの命だった。
そこで、さばいた。
場所を移動することもなく、その場で。
血の匂い、内臓の温かさ、手に伝わる感触。
どれも、子ども向けの話ではないが、現実だった。
正直、きれいな記憶ではない。
でも、軽く扱える記憶でもない。
火を起こし、肉を焼いた。
味付けはほとんどしていなかったと思う。
塩だけだったか、何もつけなかったかもしれない。
一口食べたとき、
「うまい」という感想は、すぐには出てこなかった。
代わりに来たのは、重さだった。
これは、スーパーで買う肉とは違う。
命を奪ったという事実が、味に混ざっていた。
噛むたびに、自然と背筋が伸びるような感覚があった。
沼田の山で食べた野ウサギは、
柔らかい部分もあれば、驚くほど硬い部分もあった。
均一じゃない。
それが、妙にリアルだった。
今は、食べ物が簡単に手に入る時代だ。
コンビニでも、深夜でも、ボタンひとつで届く。
便利で、清潔で、安全だ。
でも、あの日の食事は、便利でも清潔でもなかった。
それでも、不思議と無駄な感じはしなかった。
「いただきます」という言葉の意味を、
あのとき初めて、ちゃんと理解した気がする。
誰かに勧めたい体験ではない。
楽しいとも言い切れない。
でも、忘れてはいけない食事だった。
ひとりで食べるご飯が好きになった今でも、
ときどき思い出す。
沼田の山の冷たい空気と、
静かな中で食べた、野ウサギの肉の味を。
あれは、贅沢でも、ごちそうでもなかった。
ただ、命と向き合った食事だった。
SoloEatは、
「おいしい」だけを記録する場所じゃなくていい。
こういう記憶も、確かに食の一部だと思っている。


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