ドラゴンボールの名場面といえば、悟空や悟飯、ベジータが修行に身を置いた「精神と時の部屋」。外界の1日=部屋の中の1年という狂気的な設定で、修行効率の化け物みたいな空間だ。しかし、いつも疑問に思うことがある。彼らはあそこで、どこで そしてどうやって食事をしているのか?
SoloEat的視点で「精神と時の部屋=究極のソロ環境」として考えてみたい。
精神と時の部屋の内部は、白く広大な砂漠のような空間と、生活ブースのような小さな居住スペースに分かれている。アニメ描写を見ると、修行に使う巨大なエリアとは別に、ベッドや風呂、テーブルっぽい設備も確認できる。つまり、食事は基本的にこの生活ブースで行われていると考えられる。
ただ問題は、空間のスケールが常識外れという点だ。室内は果てが見えないほど広いが、生活スペースは非常に小さい。あそこに座って食事をする光景を想像すると、「部屋の端でポツンとご飯」感がすごい。悟空は明るい性格だから気にしなそうだが、もし自分があの部屋に一人で入ったら、初日の夜は静かすぎて気が狂いそうになる。味噌汁の湯気すら寂しい。
公式設定では、「部屋の中には最低限の生活設備と食料庫がある」とされている。ということはテーブルもあり、実際に普通の部屋のように食事ができる場所が存在していると判断できる。悟空たちが座って飯を食う描写はあまり多くないが、少なくとも 居住区が食卓代わりなのは間違いない。
では、もし精神と時の部屋に筆者が一人でこもるとしたらどうするか?
きっと最初はテーブルでちゃんと食べるだろう。だが、広すぎる空間でひとり黙々と食べると、次第に孤独が増していく。修行が進むにつれ、立ったまま食べる→床に座る→寝転びながらパンかじるみたいな退化が始まりそうだ。悟空のように底なしの食欲があるなら、鍋ごと抱えて豪快に食べていそうだし、ベジータなら背筋を伸ばし、姿勢よく静かに食事しそう。キャラごとに食卓の空気が違うのも面白い。
食事は修行の一部だ。1年分の孤独はメンタルを削る。それを考えると、「どこで食べるか」は修行の質にも影響する。SoloEat視点では、精神と時の部屋は究極のソロ飯環境であり、整えるべきは食事スペースだと思う。小さなテーブル、椅子、湯気の立つ汁物、温度、明かり。それだけで孤独の負荷は大きく減る。
現実世界で言えば、夜中にひとりでコンビニ弁当を食べる時、照明を少し暖色にして、湯呑みで味噌汁を飲むだけで救われる瞬間がある。悟空もきっと、白い無の世界でラーメンをすするとき、同じ感覚になっていたのではないか。
精神と時の部屋のご飯がどこで食べられているか?
答えは——生活スペースの小さな部屋。静かに、ひとりで。
そしてその姿は、私たちのソロ飯と実はとても似ている。
孤独な環境は成長を加速させる。
でも、ご飯の時間は少し優しくありたい。


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