7歳のとき、親戚の家に泊まった朝のことを、今でも妙に覚えている。
特別な出来事があったわけではない。ただ、台所の匂いと、少しひんやりした空気と、朝の静けさがあった。
おばあさんは多くを語らない人だった。
朝ごはんも「これ食べなさい」と言うだけで、理由や説明は一切なかった。
出てきたのは、白いごはんに、生卵をひとつ落としただけのご飯。
味噌汁も漬物もあったかもしれないが、正直そこは覚えていない。
記憶に残っているのは、その生卵ご飯だけだ。
当時の自分は、今ほど生卵に慣れていなかった。
少し怖さもあったし、見た目も地味だった。
でも、おばあさんが何も言わずに出したことで、不思議と疑わなかった。
箸で卵を崩し、しょうゆを少しかける。
その瞬間、黄身が白ごはんに広がっていくのを、子どもながらにじっと見ていた。
一口食べて、驚いた。
「おいしい」という言葉より先に、安心する感じが来た。
派手さはない。でも、体にすっと入ってくるような味だった。
大人になってから、生卵ご飯は何度も食べている。
高級卵を使ったこともあるし、専用の醤油を試したこともある。
それでも、あの朝の味には敵わない。
理由は、たぶん味そのものじゃない。
知らない家で迎えた朝、不安と緊張が少し残っていた自分に、
「大丈夫だよ」と言われたような気がしたからだと思う。
おばあさんは何も語らなかった。
でも、あの生卵ご飯には、
・余計なことをしない
・体に負担をかけない
・子どもを急かさない
そんな優しさが詰まっていた気がする。
今、ひとりでご飯を食べることが多くなった。
忙しい日も、疲れた夜もある。
それでも、たまに生卵ご飯を食べると、少しだけ心が静かになる。
豪華な食事じゃなくてもいい。
誰かに評価されなくてもいい。
ただ、自分を落ち着かせてくれるご飯があれば、それで十分だ。
7歳の朝、親戚のおばあさんが作ってくれた生卵ご飯。
あの一杯は、今でも自分の中で、
**「ひとりで生きていくための、最初のごはん」**だったのかもしれない。


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