7歳の私は、公園のブランコに乗りながらあんパンを食べた|SoloEat**
7歳のころ、放課後の公園は私の小さな世界だった。
家に帰ってランドセルを置くと、母が「おやつに食べなさい」と渡してくれたのは、丸くて柔らかいあんパン。袋を開けると、ほのかに甘い香りが広がった。
公園には、いつも数人の子どもたちがいた。サッカーをしている子、鬼ごっこをして走り回る子、しゃべるだけで楽しい女の子のグループ。
でも私は、彼らと遊ぶよりも、ひとりでブランコに乗って揺れながら、空を眺める時間が好きだった。
鉄のチェーンをぎゅっと握り、足を前に出したり引いたりして、体をふわっと浮かせる。
揺れに合わせて、片手で小さくちぎったあんパンを口に運ぶ。
甘さが舌に広がり、頬がゆるむ。あんこのしっとりした重みと、パン生地のやわらかな食感。
あれは、子どもながらに「ひとりのご褒美時間」だった。
揺れていると、少しだけ遠くの景色が見える。校庭の端、並んでいる桜の木、家に帰る小学生たち。
その景色を眺めながら、私はなぜかすごく安心していた。
家族でも友達でもない、誰にも邪魔されない“自分だけの場所”がそこにあった。
今思えば、あの時間こそが 私の「ソロ飯」の原点 だったのかもしれない。
誰かと分け合う食事ももちろん楽しい。
けれど、幼い私は無意識のうちに知っていたのだ。
「ひとりで食べるからこそ味わえるおいしさ」と「ひとりだから得られる静けさ」があることを。
あんパンの甘さは、ただの糖分ではなかった。
揺れる風、夕日の色、帰りたくないような寂しさ、どこか落ち着く気持ち…
その全部が混ざり合って、“ひとりで食べる時間”を特別なものにしていた。
大人になった今でも、コンビニの菓子パンコーナーであんパンを見ると、あのころの自分をふと思い出す。
疲れた日の帰り道、無意識にあんパンを手に取ることがある。
そして袋を開けた瞬間、あの公園の匂いが一瞬だけよみがえってくる。
ブランコはもう小さすぎて乗れないけれど、
“ひとりの揺らぎ” の感覚は今でも心の奥に残っている。
あのときの私は、ただ好きなように揺れ、好きなように食べ、好きなように時間を使うことができた。
大人になってからのソロ飯は自由で楽しいけれど、どこかで「効率」や「栄養」を考えてしまう。
でも7歳の私には、ただ“おいしい”と“気持ちいい”だけがあればよかった。
あんパンの甘さは、幼い私の心を満たしてくれた。
そして今でも、ときどき思い出させてくれる。
ひとりで食べる時間は、小さくても、しあわせなんだ。


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