なぜ私はセブンで「贅沢のりしお味」をたまに買ってしまうのか

ひとりコンビニ飯

私は、セブン-イレブンに行くと、たまに手が伸びてしまう商品がある。

それが「贅沢のりしお味」だ。

決して毎回ではない。
むしろ普段は我慢している。

だが、週に一度か、二週間に一度か。
なぜか、かごに入っている。

理由は単純なようで、単純ではない。

まず、「のりしお」という味そのものが持つ安心感がある。

奇抜でもない。
刺激的でもない。

だが、確実にうまい。

塩気と海苔の香り。
口に入れた瞬間の軽い音。
噛むと広がる油のコク。

50代になると、味覚は落ち着く。

濃すぎる味は疲れる。
甘すぎるものは重い。

その点、のりしおはちょうどいい。

そして「贅沢」という言葉。

この二文字が、少しだけ心をくすぐる。

実際には数百円のスナックだ。

高級でも何でもない。

だが、
“自分への小さな許可”としては十分だ。

ひとり暮らしの夜。

仕事から帰り、
誰とも話さず、
部屋に入る。

テレビもつけず、
静かな時間が流れる。

そのとき、
お茶と一緒にのりしおを開ける。

袋を開ける音。

それが一日の区切りになる。

大げさに言えば、
これは“儀式”だ。

コンビニは、
都市生活者の冷蔵庫だと言われる。

だが私にとっては、
「気持ちを整える場所」でもある。

棚に並ぶ商品を見ながら、

今日は何を選ぶか。

疲れている日は甘いもの。
気分が重い日は炭酸。
少し整っている日は、のりしお。

面白いのは、
買う瞬間がピークではないことだ。

食べる前。

レジを通して、袋を持ち帰るあの時間。

「今日はこれを選んだ」

という選択の満足。

それが半分以上を占めている。

そして、食べ終わると少しだけ後悔もする。

塩分。
カロリー。
健康。

だが、その後悔すらも含めて、
ひとり時間の一部だ。

贅沢とは、
高いものを買うことではない。

自分に“OK”を出すことだ。

のりしおは、
私にとってその象徴なのかもしれない。

毎日ではない。
だからこそ価値がある。

我慢と解放のバランス。

50代ひとり暮らしにとって、
小さな嗜好品は思った以上に重要だ。

大きな旅行も、
豪華な外食もない。

だが、
夜の数百円はある。

それが、都市のささやかな贅沢。

だから私は、
セブンに行くと、たまに買ってしまう。

それは弱さではなく、
生活を続けるための小さな燃料なのだ。

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