中学生の頃、ある日を境に、クラスでの自分の立ち位置が静かに変わっていった。
明確な喧嘩があったわけじゃない。
強い言葉を投げられたわけでもない。
ただ、誰かが少し距離を置きはじめ、その距離が広がり、
気づいた時には、輪の中の「自分の席」だけがぽっかり空いていた。
給食の時間。
クラス全体がざわざわしていて、
誰かの笑い声や、食器を運ぶ金属音が反響している。
いつもは当然のように混ざっていた会話の輪に、
その日はなぜか入れなかった。
席に座り、ひとりで静かにお盆を置く。
揚げパン、牛乳、サラダ、スープ。
見慣れたメニューなのに、
その日はどれもいつもより冷たく見えた。
ひと口かじる。
けれど味がほとんどしない。
揚げパンの甘さも油の匂いも、心の方には届かず、
ただ義務みたいに口を動かすだけだった。
周りでは友達同士が盛り上がっている。
「今日さ~」「部活どうする?」
そんな声が飛び交い、自分の目の前のテーブルだけが、
違う空気をまとっていた。
“なんでこうなったんだろう。”
そんなことを考えながら、
牛乳を開ける手が少し震えたのを覚えている。
誰にも迷惑をかけていないつもりだったし、
普通に話していたつもりだった。
でも、クラスという小さな社会は、
理由のない「空気」で人を孤立させることがある。
孤独を感じる時、
時間はゆっくりになる。
たった20分の給食時間が、
その日に限っては1時間以上に思えた。
でも——
ひとりで食べる“その時間”を経験したからこそ、
今の自分があるのだと、大人になってから気づいた。
あの瞬間、確かに辛かった。
けれど、どこにも逃げ場がない状況の中で、
ひとりで食べた揚げパンは、
小さな誇りのようなものを残してくれた。
「ひとりでも食べられる自分」
「ひとりで受け止められる自分」
その感覚は、大人になった今の自分の“芯”になっている。
不思議なもので、
あの時の揚げパンの味はほとんど覚えていないのに、
食べ終えた後に感じた、
あの静かな強さだけは鮮明に覚えている。
孤独は弱さではない。
誰とも話さず、誰にも頼れない時間を過ごしたからこそ、
“ひとりで生きていく力”が少しずつ育つ。
あの中学の教室で、
ざわざわした空気の中でひとり給食を食べた自分に、
今ならこう言ってあげたい。
「よく頑張った。あの時間は、ちゃんと未来につながってる。」
そして、あの頃の自分のおかげで、
今の“ひとり時間の豊かさ”を感じられているんだと思う。


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