昭和の夏を思い出すと、最初に浮かんでくるのは暑さだ。
今のように、暑くなったらすぐエアコンをつける生活ではなかった。
窓を開ける。
扇風機を回す。
それでも暑い。
そんな日に食べるアイスは、本当にうまかった。
冷凍庫から出したばかりのアイスを持って、扇風機の前へ行く。
風に当たりながら食べる。
たったそれだけのことなのに、子どもの僕には夏の楽しみの一つだった。
今では好きなときにコンビニへ行き、いろいろなアイスを買える。
エアコンの効いた部屋で食べることもできる。
便利になった。
それでも、ときどき思い出す。
扇風機の前で食べた、あの頃のアイスのほうがうまかったような気がする。
今回は、そんな昭和の夏の記憶を書いてみたい。
夏の主役はエアコンではなく扇風機だった
子どもの頃の夏。
部屋の中には扇風機があった。
首を左右に振りながら、
ブーン。
と風を送ってくる。
暑くなると、その前へ行く。
風が自分のところへ来る。
しばらくすると、また向こうへ行ってしまう。
そして再び戻ってくる。
今考えると、ずいぶんのんびりしたものだ。
ずっと自分に風を当てたければ、首振りを止めればいい。
でも家族みんなが涼むなら、扇風機は左右に動いていたほうがいい。
風が来る。
風が逃げる。
また来る。
そんな小さなことまで、夏の風景だった。
扇風機の真正面は特等席だった
子どもにとって、扇風機の真正面は特等席だった。
暑い外から帰ってくる。
汗をかいている。
そこで扇風機の前に座る。
「涼しい」
それだけで気持ちよかった。
顔を近づけすぎて怒られたことがある人もいるかもしれない。
扇風機に向かって声を出すと、
「あーーー」
という声が変なふうに聞こえる。
子どもの頃は、そんなことでも遊びになった。
今なら家電は家電だ。
涼しくするための道具として使う。
でも子どもの頃の扇風機は、涼しくしてくれるだけではなかった。
夏の生活そのものの一部だったように思う。
そこへアイスが登場する
暑い日にうれしかったのがアイスだった。
冷凍庫を開ける。
アイスがある。
それだけで少しうれしくなる。
子どもの頃は、自分で好きなだけ買えるわけではない。
家にあるものを食べる。
だから冷凍庫にアイスが入っていること自体に価値があった。
一本取り出す。
袋を開ける。
冷たい。
そして扇風機の前へ行く。
体には風。
口の中にはアイス。
暑さと冷たさが同時にやってくる。
夏だからこそおいしい食べ方だった。
急いで食べないと溶けてくる
昭和の暑い部屋でアイスを食べていると、当然だが溶けてくる。
ゆっくり食べすぎると危ない。
棒の近くまで柔らかくなる。
少し傾けると落ちそうになる。
手に垂れてくることもある。
だから食べる側も真剣だった。
早く食べる。
でも冷たい。
一気には食べられない。
頭がキーンとすることもある。
それでも溶ける。
今考えれば、それも含めて夏のアイスだった。
冷房の効いた部屋なら、もう少しゆっくり食べられる。
でも、溶ける前に食べなければならないという忙しさまで記憶に残っている。
冷凍庫を何度も確認した
子どもの頃は、冷凍庫の中に何があるかが気になった。
アイスがあと何本あるのか。
自分が食べてもいいのか。
家族の分は残っているのか。
昨日あったアイスが今日もあるのか。
そんなことを気にする。
今なら自分で買って、自分の冷凍庫へ入れればいい。
なくなったらまた買えばいい。
でも子どもには、それができない。
だから一個のアイスが今より大きな存在だった。
食べ物の価値は、値段だけでは決まらない。
自由に手に入らないからこそ、楽しみになることもあった。
冷たい麦茶とアイス
夏の記憶には麦茶もある。
外から帰る。
冷蔵庫を開ける。
冷たい麦茶を飲む。
そして、おやつにアイス。
今なら水、お茶、炭酸飲料、スポーツドリンクなど、いくらでも選択肢がある。
コンビニへ行けば冷たい飲み物が大量に並んでいる。
昔も飲み物はいろいろあったが、家庭の夏という意味では麦茶の存在感が大きかった気がする。
アイスを食べる。
麦茶を飲む。
扇風機が回っている。
窓の外ではセミが鳴いている。
一つ一つは特別なものではない。
でも全部がそろうと、
「昭和の夏」
になる。
夏休みだから余計に記憶に残った
子どもの夏には夏休みがあった。
これも大きい。
大人になれば夏でも仕事がある。
暑くても平日は普通に動く。
でも子どもの夏休みには、独特の時間があった。
朝から暑い。
昼になっても暑い。
午後も暑い。
今日は何をするのか。
友達と遊ぶのか。
家にいるのか。
そんな一日の途中にアイスを食べる。
時計を気にして食べていたわけではない。
「暑いからアイスを食べよう」
それだけだった。
今思えば、かなりぜいたくな時間だったのかもしれない。
高級アイスでなくてもよかった
今はスーパーやコンビニへ行けば、さまざまなアイスがある。
価格も違う。
濃厚なもの。
果物をたくさん使ったもの。
有名ブランドの商品。
期間限定の商品。
どれもおいしそうだ。
でも子どもの頃は、
「これは高級だからおいしい」
などと細かく考えていなかった。
冷たい。
甘い。
暑い日に食べられる。
それだけで十分だった。
一本のアイスを食べて、
「うまい」
と思えた。
大人になると食べ物についていろいろ考える。
値段。
カロリー。
糖質。
原材料。
コストパフォーマンス。
子どもの頃は、そんなことを知らなかった。
だから純粋に食べられたのかもしれない。
大人になった今ならエアコンをつける
今、真夏の部屋が暑ければ、無理をせずエアコンを使う。
昔と今では夏の暑さの状況も違うし、熱中症への注意も必要だ。
「昔は扇風機だけだったから、今もそれでいい」
とは思わない。
安全のために冷房を使うことは大切だ。
ただ、便利になったからこそ思い出すものもある。
エアコンの風と扇風機の風は、同じ「涼しい」でも記憶が違う。
扇風機は音がした。
首を振った。
風が来たり来なかったりした。
アイスの袋が風で少し動いた。
そういう細かな感覚が残っている。
今、一人でアイスを食べる
大人になった今なら、自分で好きなアイスを買える。
コンビニでもスーパーでもいい。
一個だけでも買える。
何個か冷凍庫へ入れておくこともできる。
夜、一人で食べることもある。
誰かに、
「アイス食べていい?」
と聞く必要もない。
自由だ。
それはそれでいい。
一人で静かに食べるアイスもおいしい。
でも、たまに昔を思い出す。
家族がいる部屋。
回っている扇風機。
外から聞こえるセミ。
暑い午後。
そして冷たいアイス。
今食べているものと、昔食べたもの。
味だけなら今のほうがおいしい商品もたくさんあると思う。
それでも記憶の強さでは、昔の一本が勝つことがある。
食べ物には風景まで残っている
以前、子どもの頃はスイカ一玉がとても大きく感じたことを思い出した。
アイスについて考えても似ている。
子どもの頃は、一個の食べ物が大きなイベントになった。
スイカを切る。
アイスを冷凍庫から出す。
麦茶を飲む。
それだけで夏だった。
食べ物の記憶というのは不思議だ。
味だけを保存しているわけではない。
音も残っている。
暑さも残っている。
誰といたかも残っている。
部屋の雰囲気も残っている。
扇風機の風まで残っている。
だから何十年たってからアイスを食べても、一瞬だけ昔へ戻れることがあるのだと思う。
あの頃のアイスがおいしかった理由
なぜ、扇風機の前で食べたアイスを今でも覚えているのだろう。
特別高級だったからではない。
珍しい商品だったからでもない。
たぶん、
暑い夏の日に、本当に冷たいものがうれしかったからだ。
そして子どもだったからだと思う。
アイス一本を楽しみにできた。
扇風機の風を涼しいと喜べた。
夏休みの午後が長く感じられた。
大人になると、自分でいろいろなものを買えるようになる。
その代わり、一個のアイスを待つ時間はなくなった。
欲しければ買えばいい。
だからこそ、昔の記憶が少しまぶしく見えるのかもしれない。
昭和の夏。
扇風機が回っていた。
その前に座って、溶けそうなアイスを急いで食べた。
手が少しベタベタする。
それでもうまかった。
今度、暑い日にアイスを食べるとき。
エアコンの効いた部屋でもいい。
少しだけ、あの扇風機の音を思い出してみたい。
僕にとって夏のアイスは、味だけではなく、あの頃の時間まで一緒に冷やして残してくれている。


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