気づいたら、たい焼きを30年くらい食べていなかった。
理由は特にない。
ただ、いつの間にか「選ばない食べ物」になっていただけだ。
子どもの頃は、好きだった。
冬になると、商店街の端にある小さな店で、紙袋に入ったたい焼きを買ってもらった。
手に持つと、少し熱くて。
息を吹きかけながら、端からかじる。
中のあんこが、じんわり甘い。
あの感じ。
でも、大人になってからは一度も食べていない。
コンビニもあるし、カフェもあるし、
もっと“効率のいい食べ物”が増えたからだと思う。
ある日、ふと見かけた。
駅の近く。
小さなたい焼き屋。
人が並んでいるわけでもない。
ただ、静かに煙が上がっていた。
なぜか、足が止まった。
買う理由はない。
でも、買わない理由もなかった。
「ひとつください」
それだけで、30年ぶりのたい焼きが手に入った。
紙袋の感触。
少しだけ油の染みた感じ。
変わっていない。
歩きながら、ひとくち。
外はカリッとしていて、
中はふわっとしている。
あんこは、思ったより甘くなかった。
いや、違う。
自分の味覚が変わっただけかもしれない。
立ち止まる。
なんだろう。
懐かしい、というより、
時間が戻った感じに近い。
30年前の自分と、今の自分が、
同じものを食べている。
でも、まったく違う感覚だ。
子どもの頃は、
ただ「おいしい」だけだった。
今は、
「なんで食べてなかったんだろう」と思う。
忙しかったのか。
忘れていたのか。
それとも、
必要ないと思っていたのか。
たぶん、全部だ。
大人になると、
「意味のあるもの」ばかり選ぶようになる。
効率、コスパ、栄養、時間。
でも、たい焼きには、
そういうものがほとんどない。
ただ、
ちょっと温かくて、
ちょっと甘いだけだ。
でも、それでいい。
むしろ、それがいい。
最後のひとくちを食べ終わる頃、
少しだけ気持ちが軽くなっていた。
何かが解決したわけじゃない。
人生が変わったわけでもない。
ただ、
「こういう時間、必要だったな」と思えた。
たい焼きひとつで、
30年分の空白が埋まるわけじゃない。
でも、
ひとつくらいなら、取り戻せる。
次は、いつ食べるかわからない。
また30年後かもしれないし、
来週かもしれない。
ただひとつ言えるのは、
もう「忘れること」はない。
たい焼きは、
ちゃんと自分の中に残っている。
そして今日も、ひとり。
小さな食べ物で、
少しだけ、自分を取り戻す。


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