渋川女子高の帰り道、ガストに入らなかった日のこと。──思い出すと少し胸がチクッとする話

Solo Eating Out(ひとり外食)

渋川女子高の帰り道、冬の夕方だった。駅に向かう坂の途中、ふと視界に入ったガストの明かりが、やけに暖かく見えた時がある。校門を出た瞬間の冷たい風、白い息、友達の笑い声。みんなでコンビニに寄ってプリン買って帰る日もあったけど、その日はなぜか、私だけ心の奥が少し寂しかった。

「寄ってく?」と誰かが言ったし。
私は笑って言った。「ううん、今日はいいや。」
ほんのワンテンポ迷った。でも結局、私は行かなかったの。

あのとき一歩踏み出していたら、どんな会話があって、どんな夜になっていたんだろう。
たった数百円のドリンクバー代さえ惜しんだのか、帰りを急ぎたかったのか、それとも、なぜか“みんなの輪の中に入るのが少し怖かった”だけなのか。今になっても理由はうまく言えない。

家に着いたら制服のままこたつに潜り込み、夕飯の匂いを感じながらぼーっとテレビを見ていた。
でも頭のどこかではずっと、ガストの窓際席で笑っている友達の姿が浮かんでいた。

「行けばよかったな。」

思い出すと少し胸がチクッとする。
あの時の私は、勇気がほんの少し足りなかった。誰かと並んでストローでジュースを飲むだけの時間が、あんなに尊いものだなんて気付かなかった。
高校って、終わってから気づく宝物が多すぎる。

ただ、不思議と後悔だけじゃない。
あの日ガストに入らなかった私がいるから、今日の私は「誘いを断った記憶」を覚えている。だから今、誘われたらちゃんと考える。何かを断るときは、自分の気持ちを丁寧に見る癖がついた。

あのガストの明かりは、私にとって「行かなかった選択の記憶」だ。
あの時の席に座っていたら、きっと別の景色があった。
だけど、入らなかった帰り道の空気もまた、確かに私の青春だった。

大人になった今、ふとガストを見ると懐かしくなる。
温かい湯気の向こうで友達が笑っていたあの光景。
冬の匂い、制服、夕方のオレンジ色。
すべてが胸の奥で静かに光っている。

今ならきっと、ガストの扉を開けられる。
ひとりでも、誰かとでも。

あの日入れなかった扉は、今の私にはもう重くない。
それが少し誇らしい。

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