高校3年の冬。
卒業を目前にしたあの日、クラス全員が校庭に集まって、卒業アルバム用の写真を撮っていた。
「はい、もうちょい詰めて〜!」「3組こっちー!」
先生の声と、クラスメイトたちの笑い声が廊下の向こうから聞こえてくる。
でも、僕はその輪の中に入らず、
静かな教室で、ひとり弁当を広げていた。
理由は聞かないでほしい。
入りたくなかったのか、入れなかったのか。
自分でも、その境界線がよくわからなかった。
冷たい机に弁当箱を置くと、
チャーハンの匂いだけが、やけに現実味を帯びて教室に広がる。
黒板にはまだ「卒業まであと10日」の文字。
誰もいない教室には、暖房の音だけが低く響いていた。
弁当を食べながら、
廊下から聞こえる笑い声をぼんやり聞いていると、
胸の奥が少しだけざわっとした。
「あぁ…みんな、ああやって卒業の思い出を作ってるんだな。」
そう思った瞬間、
フォークを持つ手が止まった。
でも、同時に気づいてしまう。
“僕にとっては、この教室でひとり弁当を食べている時間こそが、きっと本当の思い出なんだ”と。
誰にも合わせなくていい。
無理に明るく振る舞わなくていい。
写真に映らなくてもいい。
この静けさは、嘘のない“僕だけの時間”だった。
窓の外では、冬の光が差し込んで、
机の上の弁当の影を長く伸ばしていた。
寂しいと言えば、たしかに少し寂しい。
でも、悲しさとは違う。
たぶん、
“ひとりで生きる練習”みたいなものだったのかもしれない。
卒業式の日、アルバムを受け取ると、
僕の知らないところで撮られた集合写真が載っていた。
笑っているクラスメイトたち。
そのページを見ながら、
「この日、俺は一人で弁当を食べていたんだよな」と、
心の中で小さく笑った。
何かを失ったわけでもなく、
何かに敗けたわけでもない。
ただ、“自分の居場所を自分で決める”ということを、
あの日、ひっそりと覚えただけだ。
今になって思う。
孤独な昼食ほど、
あとになってじんわりと心に残る時間はない。
ひとりで過ごしたあの日の静けさは、
僕の中で、誰にも邪魔されない宝物みたいに輝いている。
そして今、
ひとり飯をテーマにしたこのSoloEatを書きながら、
あの教室で食べた弁当の味をふと思い出す。
孤独は悪じゃない。
ひとりは弱さじゃない。
あの日の自分に、
そっと言ってやりたい。
「ひとりで食べた弁当も、ちゃんと青春だったよ」
と。


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