放課後の帰り道、あのころの自分には「にぎやかさ」よりも、「静けさ」のほうがしっくりくる日が多かった。
部活の友達と笑い合う日もあったけれど、心が少し疲れている日は、そっとひとりになりたくなる。
そんな日、なぜかよく向かったのが、誰もいない 部室だった。
古い木の床、ほこりをかぶった後輩のラケット、壁に貼られた色あせた大会のポスター。
夕方のオレンジ色の光が差し込むと、まるで時間だけがゆっくりと流れ始めるようだった。
机の上に広げるのは、コンビニで買った 幕の内弁当。
鶏の照り焼き、卵焼き、ひじき、白いご飯。
どこにでもあるような弁当なのに、あの部室で食べると、なぜか少しだけ特別に感じた。
誰も話しかけてこないし、誰の視線も気にしなくていい。
ただ、静けさと、夕日の色と、温かいおかずの匂いが、自分を包み込んでくれた。
食べながら、「今日もなんとか頑張れたな」と小さく息をつく。
あの時間は、誰にも言えない心の休憩場所だった。
弁当を食べ終わるころ、部室の窓から見える校庭には、帰り道を歩く生徒がぽつぽつと見えた。
みんなと同じ学校に通い、同じ教室で授業を受けているのに、なぜか距離を感じてしまう日もあった。
だけど、このひとりの時間があったから、翌日また笑って過ごせた気がする。
大人になった今でも、ふとあの幕の内弁当を思い出すことがある。
味そのものというより、あの静けさ、あの部室の匂い、夕方の光。
高校生の自分が、少しだけ自分を守ろうとしていた時間だった。
誰にも見られない場所で、そっと心を整える。
ひとり飯には、そんな役割があるのかもしれない。
あのころの自分に声をかけるなら、こう言いたい。
「ひとりで食べる時間も、ちゃんと大事な青春だったよ」と。


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