ひろくんが一人で飯を食っていた。
唐揚げ弁当を片手に、ベンチの端っこで黙々と咀嚼していた。
誰かを待っている様子でもなく、スマホを触るわけでもなく、ただ目の前の白いご飯と向き合っていた。
その姿を見て、ふと胸の奥が静かに揺れた。
というのも、その少し前、俺も別の場所で同じようにひとりで飯を食っていたからだ。
コンビニのおにぎりとカフェラテ。
仕事帰りの、なんでもない夕暮れ。
店に入る気力はなく、家に帰って温める料理も思いつかず、駐車場の車の中でひと口ずつ噛みしめていた。
ひろくんと俺。
昔は毎日のようにラーメンを食いに行った仲だった。
学生の頃は、誰かと飯を食うのが当たり前だった。
替え玉いく?と言えば笑いながら頷いてくれた。
深夜のすき家でくだらない話を延々して、気づいたら朝日が差してきたこともあった。
でも大人になると、同じ時間はめったに重ならない。
仕事も、生活も、気持ちも違う。
誰かと予定を合わせることのほうが難しくなる。
それでも腹は減るし、人は飯を食わなきゃ生きられない。
だから、いつの間にかひとりで飯を食う能力が育っていく。
ひろくんは元気なのだろうか。
楽しんで食べているのか、ただ空腹を埋めているだけなのか。
声はかけなかった。でも、その背中から目が離せなかった。
ふと思った。
一人で飯を食うことは、孤独じゃない。生きることだ。
もちろん誰かと食べる飯は楽しい。
笑い声が混ざったスープは、どんな料理にも勝る味がする。
でも、ひとりで食べる飯にも良さがある。
ペースを崩されず、噛む音を聞き、自分の内側と対話できる時間。
忙しい日々の中で、誰かと比べず、自分と向き合える貴重な30分。
弁当の米粒が口に広がるたび、「ああ、今日も生きてるな」と実感する。
もしあのときひろくんに声をかけていたら、一緒に食べたかもしれない。
でも、声をかけなかったことに後悔はない。
あの日のひろくんには、あの一人飯が必要だったのかもしれない。
俺にも、ひとりで食う時間が必要だった。
ソロ飯は、逃げじゃなくて選択だ。
人と過ごす日も良い。
ひとりで過ごす日も良い。
その両方があるから、また誰かと笑って食卓を囲める。
今度ひろくんに会ったとき、こう言おう。
「この前、一人で飯食ってたよな。俺もだった。」
それだけで、なんだか会話が始まる気がする。
変わった関係でもなく、変わらない関係でもなく、
大人になった俺たちの距離感で。
ひとりで食った飯は、寂しさじゃなくて「今日の記録」。
胸にそっと置かれる、小さな思い出だ。


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