一人でご飯を食べる。
最初は少し寂しく感じることもあるし、店によっては一人で入ることに抵抗を感じることもある。
しかし、それを3000回続けたらどうなるのだろう。
1日1回なら約8年。
朝昼晩のどこかで一人飯をする生活なら、3000回は決して現実離れした数字ではない。
100回、500回、1000回と一人飯を重ね、その先の3000回まで行ったとき、食事に対する考え方はどう変わるのか。
今回は「一人飯3000回」という少し極端な数字から、ひとりで食べ続ける生活について考えてみたい。
最初は「一人で大丈夫かな」と思う
一人飯に慣れていない頃は、食事そのものより周囲が気になる。
店に入る前に中を見る。
一人客はいるだろうか。
カップルや家族ばかりではないだろうか。
一人でテーブル席を使って迷惑ではないだろうか。
そんなことまで考える。
しかし実際には、こちらが思っているほど周囲は見ていない。
店に入る。
「一人です」と伝える。
注文する。
食べる。
会計して帰る。
それだけだ。
何度か経験すると、「一人であること」はだんだん特別ではなくなっていく。
100回で「一人」が普通になる
100回くらい一人飯を経験すると、かなり慣れてくる。
牛丼屋。
ラーメン屋。
定食屋。
ファミレス。
カフェ。
店の種類によって多少の入りやすさは違っても、「一人だから」という理由だけで諦めることが減っていく。
これは結構大きな変化だ。
食べたいものがあれば、自分で行けばいい。
誰かを誘う必要もない。
予定を合わせる必要もない。
「今日ラーメン食べたいな」
と思ったら、そのまま店へ行ける。
一人飯に慣れるということは、食事の選択権を自分に戻すことなのかもしれない。
500回で「いつもの店」ができる
一人飯を続けていると、店選びにも変化が出てくる。
最初はいろいろな店へ行きたくなる。
しかし回数を重ねると、結局いつもの店へ戻る。
理由は単純だ。
値段が分かっている。
味も分かっている。
席も分かっている。
注文方法も分かっている。
そして、一人でも落ち着ける。
この安心感は大きい。
新しい店を開拓する楽しさもあるが、疲れている日は冒険したくない。
「今日はあそこへ行けばいい」
と思える店が一つあるだけで楽になる。
一人飯を続けると、自分なりの生活圏ができてくる。
1000回で「何を食べるか」に悩まなくなる
一人飯1000回あたりから、食事に対する理想が少し下がる。
これは悪い意味ではない。
毎回豪華でなくてもいいと分かってくる。
ご飯。
卵。
豆腐。
納豆。
肉を少し。
スーパーの惣菜。
これだけでも十分な日がある。
疲れているのに、無理して料理を作る必要はない。
逆に元気な日は少し手間をかけてもいい。
一人飯には採点する人がいない。
見栄えが悪くてもいい。
同じものが2日続いてもいい。
自分が納得できれば、それで成立する。
この自由は大きい。
1500回で「自炊しなければ」が消えてくる
一人暮らしをしていると、
「ちゃんと自炊しないと」
と思うことがある。
しかし、一人分の料理は意外と難しい。
食材が余る。
洗い物が増える。
調味料を買っても使い切れない。
疲れて帰宅した日に、30分かけて料理する気になれないこともある。
そこで一人飯を重ねると、考え方が現実的になる。
全部自炊する必要はない。
ご飯だけ炊く。
おかずは買う。
豆腐を追加する。
冷凍食品を使う。
電子レンジだけで済ませる。
これでもいい。
「料理を頑張る」より「無理なく食べ続ける」ほうが重要だ。
そう思えるようになる。
2000回で店を見る目が変わる
2000回も一人飯をしていると、飲食店を見る基準も変わってくる。
単純に「うまい」だけでは決めなくなる。
一人で入りやすい。
注文しやすい。
待ち時間が短い。
値段が分かりやすい。
落ち着いて食べられる。
店員との距離感がちょうどいい。
こうした要素が重要になる。
一人客にとっての「いい店」は、必ずしも有名店とは限らない。
SNSで話題になっていなくてもいい。
行列がなくてもいい。
むしろ近所にあって、気軽に入れて、いつ行っても同じように食べられる。
そんな店の価値が高くなってくる。
一人飯では「70点」が強い
3000回も食事をするなら、毎回100点を狙うのは無理だ。
これは一人飯を続けるほど分かってくる。
100点の高級料理を月に1回食べるのも楽しい。
しかし日常で重要なのは、
70~80点の食事を無理なく続けられること
ではないだろうか。
安い。
早い。
そこそこうまい。
栄養も極端に偏らない。
片付けも簡単。
そして翌日も続けられる。
派手さはない。
しかし生活としては強い。
一人飯3000回の世界では、この「普通の飯」の価値がどんどん大きくなっていく。
2500回で「誰かと食べる飯」の価値も分かる
一人飯に慣れると、人と食べることが嫌になるわけではない。
むしろ逆の場合もある。
普段一人で食べているからこそ、誰かと食べる日は少し特別になる。
料理について話す。
同じものを食べる。
相手が何を注文するかを見る。
「これ、うまいね」
と言う。
一人飯では必要のないコミュニケーションが生まれる。
毎日誰かと食べるのが当たり前なら気づかなかったことかもしれない。
一人で食べる自由を知ることで、誰かと食べる楽しさも見えてくる。
この二つは対立するものではない。
一人の日があっていい。
誰かと食べる日があってもいい。
3000回で「孤独」という言葉が変わる
一人で食べている人を見ると、
「寂しそう」
と思う人もいるかもしれない。
しかし3000回一人飯を続けた人にとって、一人で食べることは単なる日常だ。
一人でいることと、孤独であることは同じではない。
もちろん寂しい夜もある。
誰かと食べたいと思う日もある。
それは自然なことだ。
しかし、
「一人で食べている=かわいそう」
とは思わなくなる。
静かに食べたい日もある。
考え事をしながら食べたい日もある。
何も考えず、ただラーメンを食べたい日もある。
一人で食べる時間そのものを楽しめるようになる。
3000回目には何を食べる?
もし3000回目を正確に数えていたら、何を食べるだろう。
高級寿司?
ステーキ?
焼肉?
それとも豪華なコース料理?
たぶん実際には、そんなに特別なものではない気がする。
いつもの定食かもしれない。
スーパーで買った弁当かもしれない。
家で卵を焼いて、ご飯と味噌汁を食べるだけかもしれない。
そして、
「これが3000回目か」
と思いながら普通に食べて、普通に片付ける。
そのくらいが一人飯らしい。
1000回と3000回の違い
1000回では、
「一人でも食べられる」
という感覚だったものが、3000回になると、
「一人で食べることを自分で選べる」
に変わっているのかもしれない。
この差は意外と大きい。
仕方なく一人なのではない。
一人で行きたいなら一人で行く。
誰かと食べたいなら誰かを誘う。
自炊したいなら作る。
疲れていれば買って帰る。
外食したければ店へ入る。
選択肢を自分で持っている。
一人飯3000回で手に入るもの
3000回続けても、料理のプロになるとは限らない。
グルメになるとも限らない。
高級店に詳しくなる必要もない。
ただ、自分が何を食べれば満足できるのかは、かなり分かってくると思う。
自分が落ち着く店。
自分が好きな味。
自分が払える金額。
自分が疲れている日の食事。
自分が元気な日の食事。
そういう「自分の基準」ができてくる。
誰かのおすすめランキングではなく、自分自身の生活から作った基準だ。
3000回の一人飯で変わる最大のものは、食事そのものではないのかもしれない。
「一人でも大丈夫」から、「一人だから自由に選べる」へ。
今日何を食べるか。
どこで食べるか。
作るのか、買うのか、店へ行くのか。
全部、自分で決めればいい。
一人飯を3000回続けた先にあるのは、寂しさではなく、そんな小さな自由の積み重ねなのだと思う。


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