65歳の俺ですが、都内の公園を散歩しながらカフェが結構好き|SoloEat**
65歳になって思うのは、若いころよりも「ひとりの時間の味」が深くなったということだ。
特に、都内の公園を歩きながらカフェに立ち寄る習慣は、ここ数年で自分の中でかけがえのない楽しみになっている。
朝の空気がまだひんやりしている時間に公園へ向かうと、散歩している人たちの歩幅や息遣いが心地よく重なる。
ジョギングの若者、ゆっくり犬を連れて歩く老夫婦、ベビーカーを押す親子…。
みんなそれぞれのペースで生きていて、その姿を見るだけで、自分も少しだけ元気を分けてもらえる気がする。
歩きながら、ふと漂ってくるコーヒーの香り。
都内の公園のそばには、最近は小さなカフェやキッチンカーが増えた。
「こんなところに?」と思うような場所に、こじんまりした店がぽつんとあることも多い。
年齢を重ねるにつれ、そういう“偶然の出会い”がますます楽しくなった。
65歳の俺にとってのカフェは、ただコーヒーを飲む場所ではなく、
“ひとりで心を整える場所” という意味合いのほうが大きい。
席に腰掛けてコーヒーをひとくち。
苦味と酸味、そしてほんの少しの甘みが、ゆっくりと身体に浸透していく。
若いころは「急いで飲んで、早く次の予定へ」という気持ちが強かったが、
今は違う。
コーヒーが冷めていく速度さえ、愛おしい。
窓辺の席から公園を眺めていると、
木漏れ日の影がゆっくり移動し、季節の色が移り変わって見える。
春は桜の明るいピンク、夏は濃い緑の勢い、秋は金色の落ち葉が舞い、冬は乾いた風が街を研ぎ澄ます。
人生の四季と同じように、公園の景色も変わっていく。
そして気がつくと、「65歳って悪くないな」と思う自分がいる。
若いころは、年を取ることはただ衰えていくだけだと思っていた。
しかし実際には、無駄な競争から少し距離を置けるようになり、
“ひとりで味わう小さな喜び” の価値がよく分かるようになった。
カフェのコーヒー1杯が、心身を整える立派なイベントになる。
もちろん、ひとりでいる時間がときどき寂しくなる日もある。
でも、公園のベンチに腰かけてコーヒーをすするだけで、
その寂しさが静かに薄まっていくこともある。
「ひとりでいても大丈夫」という実感が、日々少しずつ蓄積されていく。
都内の公園には、都会の喧騒を忘れさせる空白の時間がある。
そして、近くのカフェには、その空白を優しく満たす温かい一杯がある。
65歳の俺が、いま一番好きなソロ飯は、
豪華な料理でもなく、流行のスイーツでもない。
ただ、散歩の途中に飲むコーヒーと、静かで穏やかな自分の時間だ。
そんな時間を大切にしながら、
これからもゆっくりと、ひとりの味を楽しんでいきたいと思う。


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